歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第79回~前田利家~
人一倍強いエネルギーを生まれ持った稀代の武将
強大なエネルギーが後に外交手腕として結実
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください
今回は、加賀百万石の礎を築いた武将、前田利家を四柱推命で鑑定する。派手な身なりを好み、かぶき者として知られる利家。しかし、自制を重ねて信長に認められ、最終的には加賀の大名に成り上がった。四柱推命鑑定の結果、その秘密が明らかに!

金沢市・金沢城公園の前田利家像
前田利家
生年月日:天文7年12月25日(和暦)
1539年1月25日(グレゴリオ暦)

前田利家の命式表
利家の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。人脈80%、自立心20%、知性0%、行動力0%、遊び心0%と、かなりバランスが悪いが、ここにこそ、利家の強さの秘訣がありそうだ。

前田利家の性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを材料に、利家の性格を読み解いていく。
〇最強のエネルギーの持ち主!八相局!
八相局とは、通変星の中に同じグループの星を4つ以上持っている人のこと。「正財(せいざい)」と「偏財(へんざい)」は同じ人脈の星であるが、これらを合わせて4つ持っているため、利家は八相局となる。
八相局を持つ人は、とにかくスケールが大きくエネルギーが強い。人間は悪くないが、人のエネルギーまで吸ってしまうほどの超人だ。八相局を持つ人はそれほど多くないが、例えば、これまで鑑定した歴史上の人物では、徳川家康の長男・松平信康や井伊直政、オスマントルコの全盛期を築いたスレイマン一世がいる。どの人物も、勇猛で果断なエピソードで知られている。
八相局を持っている利家。ゆえに、周りとなじめないのは当たり前である。若い頃は、さぞかしエネルギーをもて余したのだろう。「かぶき者」と呼ばれたように、特別作りの槍を持ち、派手な格好で練り歩いた。その上、喧嘩好きだったようで、利家を見かけると皆道を空けたという。
そんな有り余るエネルギーを、若い頃の利家はコントロールすることができなかったのだろう。信長に仕え、重宝されていた利家だったが、信長に勘当される事件があった。自分の笄(こうがい)を盗んだことに腹を立て、拾阿弥(じゅうあみ)という同朋衆(信長の側近)を斬殺したのである。一瞬冷静になればよかったものを、一呼吸置く前に手が出てしまったのだろう。怒った信長は利家を即勘当した。
その後、利家はひたすらに織田家への復帰を願う。桶狭間の戦いに勝手に参戦し3人もの敵の首級をあげるも許されず、翌5月、森部の戦いで、豪傑を討ち取ったことでようやく織田家への復帰がかなったのである。
〇家庭的で奥さんを大切にするタイプ!
利家は命式表に「正財」を2つ持っている。正財は、男性にとって結婚の星。結婚に恵まれ、家庭的で奥さんを大切にする。
大河ドラマ「利家とまつ」でクローズアップされる等、利家の妻、まつは内助の功で利家の出世を手助けした。例えば、豊臣秀吉と柴田勝家の間で起きた賤ケ岳の戦いでは、まつが戦後処理に関わったという。もともと勝家についていた利家だが、戦わずして戦場を後にし、勝家軍は総崩れとなった。しかし、利家が一時勝家に味方したことに腹を立てていた秀吉に対し、まつが面会し釈明をしたと伝えられている。
また、「これから柴田家の北ノ庄城を攻めるが、息子の利長はまつと一緒に城を守っているといい」と秀吉が声をかけるも、まつは利長に「母のことはいいから、一緒に行きなさい」と、利長にも秀吉派に付くことを徹底させ、前田家の立場を強固にするためのアピールをしたという。利家亡き後も、自ら進んで江戸城に人質として出向く等、前田家のために尽力した。
現代にまで語り継がれる、よき妻を持ったのも、利家の結婚運と妻を大切にする性格ゆえだろう。

利家とまつが暮らした金沢城(著者撮影)
〇しかし、抜かりなく浮気性!
正財とともに「偏財(へんざい)」も2つ持っている利家。偏財は、男性にとって恋愛の星であり、恋愛・女性好きで、浮気性である。いい人すぎるがゆえ、NOと言えないのもこの偏財の弱みである。
時代が時代なので、側室がいることは当たり前だろうが、利家はよき正室を持ちながらも、しっかり女性好きだったのだろう。利家には5人の側室がいた。利家は「正財」も併せ持っているため、それぞれの側室を大事にしたことだろう。そのうちの1人寿福院(千代保)は、3代将軍・利常を産んでいる。なお、まつは側室に対し、一言も不平不満を言わなかったという。
〇長老の役目を持つ!
利家は命式表の十二運星に「衰(すい)」を2つ持っているが、衰は長老の星。衰を持っている人は、長老のように客観的に物事を見るのが得意で、喧嘩の仲裁役になる。一つの見方として、年柱(右)は20代まで、月柱(真ん中)は30~60歳、日柱(左)は晩年を表すと言われるが、利家は、衰を月柱と日柱に持っている。つまり、若年期にはこの星は発揮されなかったが、今で言う30代、働き盛りから晩年にかけて、長老の役割を担ったようだ。
かつてはかぶき者と呼ばれた利家も年を重ねるに連れて次第に落ち着き、秀吉の傘下に入ってからは、秀吉政権のナンバー2として手腕を発揮した。東国の上杉景勝、伊達政宗、南部信直と交渉を行い、秀吉の地位を不動のものとした。晩年に至っては五大老に名を連ね、秀吉の死後の執政として特別なポジションについた。
以上、利家を四柱推命で鑑定してきたが、エネルギーの強さの所以がよくわかった。そして、利家の強みは、人一倍強いエネルギーを自らコントロールできるようになったことだろう。晩年の利家にかぶき者の面影はなく、見事に長老の役割を果たした。本人にとってはもうひと暴れしたいという思いもどこかであっただろうが、エネルギーのベクトルを戦ではなく外交政策に見事に変えたのである。
利家の人生を振り返ると、信長に勘当されたことがそのきっかけとなったものと思われる。歴史に名を残す大名でも、取り返しのつかない失敗をする。しかし、その失敗をどう反省し、どう活かしていくか、そこに尽きるのだと思う。
利家には隠然たる力と人望があり、石田三成ら文吏派も、加藤清正・福島正則ら武断派も利家には逆らえなかった。しかし、利家は秀吉の死後、7か月後に亡くなってしまう。歴史にたらればは禁物であるが、利家がもう少し生きていたら、関ヶ原の戦いは変わっていただろうと思わざるを得ない。

前田家が江戸時代に築いた兼六園(金沢市)を訪れた著者(著者撮影)
【参考文献】
・「まつ(利家の妻)は戦国一の女房! 槍の又左を百万石に押し上げた功績とは」日本初の歴史・戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPAN https://bushoojapan.com/bushoo/maeda/2020/06/29/80149 (2020年7月9日最終アクセス)
・「図説・戦国武将118」太丸伸章編 学習研究社 (2001)
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。
「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。