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歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第80回~足利義輝~

文武両道を体現した室町幕府13代将軍

威厳と知性を備えた「剣豪将軍」

平安女学院高等学校(京都市上京区)前にある足利義輝邸址/著者撮影

 歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命と用語の説明はページの最後をご覧ください

 

 今回は、「剣豪将軍」の異名を持つ、室町幕府13代将軍・足利義輝を四柱推命で鑑定する。大河ドラマ「麒麟がくる」では向井理さんがその役を演じており、将軍としての威厳を持ちながらも物腰が柔らかで爽やかなイメージが印象的だ。四柱推命鑑定の結果、向井さんのイメージに違わない義輝像が見えてきた。

 

足利義輝

生年月日: 天文5310日(1536410日)

足利義輝の命式表

 義輝の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通編星をわかりやすく円グラフに表すと下記のようになる。知性50%、自立心30%、人脈10%、遊び心10%となる。

足利義輝の性格

 

知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手

 

行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる

 

人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。

 

自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。

 

遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。

 

 これらを材料に、義輝の性格を読み解いていく。

 

〇とにかく頭がいい!頭のいい星そろい踏み!

足利氏の菩提寺である等持院(京都市北区)/著者撮影

 通変星に、「印綬(いんじゅ)」「偏印(へんいん)」「傷官(しょうかん)」を持っている人は、頭がよいと言われる。義輝はこの3つの星を全て持っている。頭がいいといっても、それぞれにその意味が若干異なる。

 

「印綬」は幅広い知識を持ち、学校の勉強がよくできるタイプ、「偏印」はひらめきや企画力がありベンチャーでも活躍できるタイプ、「傷官」は弁が立ち交渉能力があるタイプ。この全てを持つ義輝は、自ら分析して企画して交渉して…を、一手に担うことができたのだろう。スーパーブレインの持ち主だ。これまで100名以上の歴史上の人物を鑑定してきたが、この3つの星を全て持っていた人物は初めてだ。

 

 足利将軍家を復権させようと奮闘した義輝の振る舞いは、頭のいい星を生かしたものだろうか。6代目将軍、足利義教が暗殺されて以来、家臣の細川氏や三好氏が政治の実権を握って将軍は操り人形と化し、度々京都を追放されていた。義輝はそんな状況を打破すべく尽力した将軍としても名高い。

 

 義輝が将軍職についたのは1546年、11歳のとき。近江に追われる身だったが、父で第12代将軍・義晴が病没したのをきっかけに、京に戻ろうと画策する。紆余曲折ありながらも義輝は、争いを繰り広げていた三好長慶と和睦を結び、永禄元年、やっと京に落ち着くことができた。三好家に対し、機をうかがって刺客を何度も差し向けるなど、戦を避けつつ長慶を取り除こうとしながら、長慶と細川晴元の間を行ったり来たりしながら生き残りを図った。義輝の頭脳をもってしても復権が成らなかったのは、相当に厳しい状況だったのだろう。

 

〇一匹狼!人に頼るのが苦手

 義輝は通変星の最も大事な場所である、主星(しゅせい)に「比肩(ひけん)」を持っている。比肩は自立心の星だが、職人気質で人に従うのが苦手な一匹狼の性格。運動神経もよい。

 

 「剣豪の将軍」の異名を持つ義輝。それまでの将軍は武士のたしなみ程度だったが、義輝は一味違った。剣聖と讃えられた塚原卜伝(ぼくでん)より鹿島新當流(かしましんとうりゅう)を伝授される。義輝の名はその死後も広く知られており、徳川将軍家の兵法指南役・柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみむねのり)も、塚原卜伝の弟子でも屈指の者として義輝を挙げている。そこまで剣術を極めたのは、おそらく、人に頼っていられない!自分で何とかしないと!という気持ちが強かったものと推察される。

 

 剣豪と呼ばれる所以は、その壮絶な最期だ。三好義継らによって囲まれた義輝は、襲いかかってきた敵兵を次々に自らの刀で斬り倒していった。自身の周囲に名だたる名刀を用意し、敵を斬って切れ味が悪くなると、また新たな刀を握りしめて対峙した。いよいよ困った松永軍は、畳を持って四方から寄せて、義輝を討ち取ったという。多少の脚色があったにせよ、将軍でありながらその剣の腕前が頭一つ抜けていたことは間違いない。

 

〇人と信頼関係を気付くのがうまい!

等持院の方丈(本堂)/著者撮影

 命式表に「正財(せいざい)」を持っているが、正財は重要な人物と信頼関係を築き、いい人脈を手に入れられる星。大河ドラマでも、人当たりがよく品がある役柄であるが、恐らく近いものがあったのだろうと思う。

 

 義輝は、各地の大名に対し、自分の名前から一字を与える偏諱(へんき)も積極的に行った。義輝の初名は「義藤」だが、この頃から合わせると一字貰った大名は数えきれない。細川藤孝や島津義久、上杉輝虎(後の謙信)、伊達輝宗(政宗の父)、毛利輝元等、有名大名も多い。幕府の権力が地に落ちていたとはいえ、もらう価値がなければ字を受け取らないだろうと考えると、義輝は各地の大名から敬われる存在だったのだろう。

 

〇けんかの仲裁が得意!

等持院の庭園/著者撮影

 命式表の十二運星に「衰」を持っているが、衰は長老の星と呼ばれるように、村の長の役割を持つ。客観的にものを見るのが得意で、けんかの仲裁に入ることはあっても自分からは絶対にけんかを仕向けることはない。常に冷静な大人の対応ができたということだろう。

 

 そんな義輝は、各地の大名とも積極的に交流を持ち、その調整を行った。例えば、武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の合戦や、島津家と大友家、徳川家康と今川氏真の間に入り調停を行った。客観的に物事を見られる義輝には、うってつけの仕事だったのだろう。

 

 「五月雨は 露か涙か 不如帰(ほととぎす) 我が名をあげよ 雲の上まで」義輝の辞世だ。これほどわかりやすい辞世がこれまでにあっただろうか。享年30歳。まさに夢半ば、悔やみながらの死だったのだろう。義輝の死により、室町幕府の地位はまたもや失墜。弟・義昭により終焉を迎えることになる。

 

 8月30日から大河ドラマも再開される。向井さんが義輝の最期をどう演じるのか、気骨ある将軍・義輝に思いを馳せながら見守りたいと思う。

 

【参考文献】

足利義輝の生涯を追う。室町幕府末期に鮮烈に散った剣豪将軍tabiyoriHP https://wondertrip.jp/102179/ 2020726日最終アクセス)

足利義輝の壮絶過ぎる散り際!襲いかかる敵兵を次々に BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)HP https://bushoojapan.com/bushoo/ashikaga/2019/11/27/100852020726日最終アクセス)

 

■四柱推命とは?

古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。

具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。

「国史大辞典」に記載されている生年月日を、「和洋暦換算事典」を用いて現行暦に換算し鑑定している。

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妃萃(本名:油川さゆり)(ひすい)
妃萃(本名:油川さゆり)ひすい

青森県八戸市出身。慶應義塾大学 社会学研究科 教育学専攻 修士課程修了、同研究科 同専攻 後期博士課程在学中。2013年鳥海流・鳥海伯萃より四柱推命の指南を受ける。これまで500人以上を鑑定。多数の弟子を輩出。

元放送局報道記者。フリーアナウンサーとして、BS11の番組にレギュラー出演しているほか、ナレーターや司会として活動中。日本の歴史、伝統芸能を伝えるため、歴史勉強会、その他イベントを主宰。自身も大和言葉、辞世の句、武田氏と油川氏等について講演活動を行う。合同会社真己、共同代表。また、2016年6月から「カミムスヒ」というソングユニットで歌手活動を開始。手話検定3級、ホームヘルパー、視覚障害者ガイドヘルパーの資格を持ち、社会福祉活動に積極的に携わる。

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