歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第86回~明智光秀特別編③ 大永6年(1526)8月15日生まれの場合~
織田軍随一の切れ者の実像に迫る
信長から信頼されていた光秀には日本人精神を持つ愛妻家という側面も

現在は京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町にある本能寺。本能寺の変が起こった当時は別の場所であったが、天正19年(1951)に秀吉の命で現在の場所に移転した/著者撮影
歴史上の人物に迫るには様々なアプローチがあるが、ここでは四柱推命(しちゅうすいめい)という手法を用いて、歴史上の人物がどんな性格であり、なぜ成功したのか(失敗したのか)を読み解く。※四柱推命の説明はページの最後をご覧ください。
前々回より、大河ドラマ「麒麟がくる」の主役、明智光秀を四柱推命で鑑定している。というのも、光秀の生年月日は諸説あり、学者の間でも意見が分かれているのだ。3回目の今回は、岐阜県の白山神社に伝わる、大永6年(1526)8月15日生まれ説の光秀を四柱推命で鑑定する。
明智光秀③
生年月日:大永6年8月15日(グレゴリオ暦:1526年10月1日)

明智光秀:大永6年(1526)8月15日生まれの命式表
光秀の生年月日から命式表を割り出すと上記のようになる。この中で、性格を表す、通変星・蔵干通変星をわかりやすく円グラフに表すと、知性30%、人脈30%、自立心30%、遊び心10%となった。

明智光秀:大永6年(1526)8月15日生まれの場合の性格
知性…様々な分野の知識が豊富で、何かを学ぶことに喜びを感じる。頭の回転が速く、物事を論理的に捉えることが上手
行動力…頭で考えるよりも行動で結果を出す。未知の分野に挑戦する意欲が強く、交渉力や営業力を磨けば成功できる
人脈…さりげない気配りができて誰とでも仲良くなれる。サービス精神が旺盛でコミュニケーション能力も高く人を動かせる。
自立心…他人に依存することなく、自分が信じた道を突き進む強い精神性。リーダーシップを発揮しフリーで活躍できる。
遊び心…楽しいことを企画する等、生活に遊びを取り入れることが自然とできる。芸術面の才能があり、表現力が豊富。
これらを材料に、大永6年8月15日生まれ光秀の性格を読み解いていく。
〇根は真面目!
主星(しゅせい)という、命式表で一番大事な場所(月柱の蔵干通変星)に、「正財(せいざい)」を持っている。「正財」は真面目で誠実。コツコツと努力をし、人に信頼される星。これを主星にもっていた光秀は、信長の命令に応じて、コツコツと真面目に仕事をする、真面目人間だったのだろう。信長の命により、光秀は丹波平定(たんばへいてい)に加え、本願寺攻めも負った。しかし土豪(どごう)も手ごわく、配下の家臣の裏切りにあって、なかなかうまく進まなかった。信長よりも6歳以上年長である光秀。決して若くない身体に激務に次ぐ激務がたたり、ノイローゼ気味だったのではないかと、歴史家の加来耕三(かくこうぞう)氏も分析するように、真面目過ぎて上司の言うことに従い続けた結果、過労死するタイプだった可能性はある。なお、加来耕三氏は、光秀の謀反の原因について、激務によりノイローゼ気味であったことをあげている。
〇好奇心が強く様々なことに果敢に挑戦!
前述したように、主星に「正財」を持っていて、真面目な性格の光秀であるが、その一方で、自星(じせい)という、命式表の中で2番目に大事な場所(日柱の蔵干通変星)に「偏印(へんいん)」を持っている。「偏印」は知的好奇心が豊富で変動を好み、海外等にも向く星。真面目な性格の一方で、好奇心が強く果敢に挑戦する面を持っていたのだろう。
なお、主星は仕事面を表し、自星はプライベート面を表す。仕事上は真面目だが、プライベートでは挑戦をするタイプ…というところだろうか。
〇奥さんを大切にする!
主星にある「正財」は、男性にとって結婚の星。結婚運に恵まれ、家庭的な性格。
これは、光秀のイメージだろう。側室がいたかどうか…ということは定かではないが、かなりの愛妻家として伝わる。
史実かどうかはわからないが、夫婦愛を語るエピソードも多い。光秀が妻・熙子(ひろこ)との結婚に際し、家同士で縁談を進めていた。しかし、嫁入りが間近になった折、熙子は天然痘(てんねんとう)にかかり顔にあざが残ってしまった。悩んだ家族は、熙子の妹を替え玉として明智家に送り出した。しかし、いざ対面すると、光秀は替え玉を見破り「この女性は熙子ではない」と告げたのだという。事情を説明したところ、「容姿は年月や病気によって変わってしまうもの。しかし、内面は不変である。」と話し、顔にあざの残る熙子と結婚したのだとか。
結婚後、貧乏暮らしを強いられていた光秀夫婦。光秀は、連歌会を催すための準備をしていた。連歌会は、娯楽だけでなく政治的な意味もあり、お金がないという理由で避けて通ることはできなかった。そこで、熙子は自分の髪を売ることで費用を捻出し、何とか準備を整えたという。
このように仲睦まじい様子が伝わるが、本能寺の変について、一部では「熙子が生きていたら起こらなかったのではないか」とも言われる。それほど、妻は光秀にとって心の支えだったのだろう。
〇我が強く、本当は人に従うのが苦手!
命式表に「劫財(ごうざい)」と「比肩(ひけん)」を持っている。これはいずれも自立心の星で、リーダーシップがあり自分の道を突き進むことができる。一方で、我が強く、人の指示に従えない欠点もある。30%と高めの自立心を持つ光秀が、信長の一方的な指示にイライラを募らせていた可能性はある。
中でも「比肩(ひけん)」は、職人気質で一匹狼。ルイスフロイスの日記には、光秀は他の家臣から嫌われていたと記載されているが、一匹狼ゆえに人と関わりを持たなかった可能性はある。

明智光秀の首塚が祀られ、「光秀寺」ともいわれる谷姓寺(こくしょうじ 京都府亀岡市)/著者撮影
〇神道と仏教に精通!
十二運星に「死(し)」と「墓(ぼ)」を持っている。「死(し)」はスピリチュアルで神通力を持ち、神道に通じている。「墓(ぼ)」はご先祖とご縁があり、仏教に通じている。つまり、光秀は日本人の精神を持ち、神様と仏様への畏敬の念を持っていたことであろう。
ルイスフロイスの日記には、光秀について、先ほど紹介した「他の家臣から嫌われていた」という記述の他にも、「冷酷な性格」「裏切りが大好き」等、多くの悪口が書かれている。キリスト教に改宗する武将が多い中、光秀はキリスト教に興味を持たず、ルイスフロイスとも打ち解けることがなかったのだろう。日本人の精神を持つ光秀は、イエズス会やキリスト教にある種の警戒心を持っていたのだろう。その後イエズス会は九州で日本人を奴隷とした奴隷貿易を行うなど、国内で次々とトラブルを起こし、最終的に鎖国へとつながった。光秀の警戒は、ある意味で的中していたのだろう。
〇人から信頼される、鑑定士タイプ!?
十二運星に「長生(ちょうせい)」を持っている。「長生」は、人から信頼される星。本能寺の変で信長を討った光秀だが、信長に一番信頼されていた。実際に、織田家家臣団の中で新参ながら、最初に城持ち大名になるなど、異例の高待遇を受けている。
また、「偏印(へんいん)」と「長生(ちょうせい)」を併せ持っていると、「占いのカリスマ」と言われる。もちろん、光秀が占い師だったという意味ではないが、カリスマ占い師のように、口にしたことは信頼され、慕われていたのだろう。
以上、大永6年8月15日生まれの光秀を四柱推命鑑定してきたが、筆者のイメージする光秀像となんとなく重なるように思う。これまで諸説ある光秀の生年月日をもとに四柱推命鑑定してきたが、どれが一番光秀らしいといえるだろうか。次回はこれまでの鑑定、あるいは他の説を踏まえて、光秀像について勝手ながら分析を行う。
【参考文献】
加来 耕三 実は残虐で無慈悲だった明智光秀
日経ビジネス https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00087/020500020/?P=1 (2020年10月29日最終アクセス)
西村覚良 光秀ゆかりの地・岐阜県山県市発 明智光秀生存伝説
サライHP https://serai.jp/hobby/384376 (2020年10月29日最終アクセス)
■四柱推命とは?
古代中国で生まれた「過去、現在、未来」を予見する運命学のひとつで、陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)をもとに、人が生まれながらにして持っている性格、能力、素質を理解し、その人の努力や経験で変わる後天的な運命までも予測することができる。
具体的には、生まれた日(生まれた年・月・日・時間)をもとに命式表(めいしきひょう)を作成し占っていく。なお、ここでは生まれた時間は鑑定に含めていない。