×
日本史
世界史
連載
エンタメ
誌面連動企画

81歳まで生き延びた信玄の父・武田信虎

孫子の旗 信玄と武田軍団 第1回

「最強」武田軍団の礎を築いた存在

甲斐の名門武田氏第18代当主・武田信虎。有力国人が割拠していた甲斐国内を統一し、富国強兵をすすめる。独断専行な領国経営が家臣団の反発を買い、クーデターで国を追われる。東京大学史料編纂所所蔵模写

 武田信玄の父・信虎は、家臣団と信玄によって駿河・今川義元の下に追放された人物としてのみ記憶されている。だが、実際の信虎は「暴君伝説」の中だけの人物ではない。むしろ、その生涯は若くして内訌(ないこう)と外圧の中で戦い続けて甲斐国内を統一し、「最強武田軍団」の土台を創設した武将として、もっと評価されても良い存在であろう。

 

 信虎は甲斐国主・武田信縄(のぶつな)の長男として明応3年(1494)正月に生まれている。だが、父の時代以前から甲斐国内は武田氏や甲斐源氏庶子などの国人(地方豪族)の内訌や勢力争いがあって、信虎の地位も決して安定してはいなかった。父の病死により僅か13歳で家督を継いだ信虎は、その翌年には抗争を続けてきた叔父・油川信恵(のぶよし)などを下して、武田宗家の内訌を終息させた。

 

 さらに国内各地に勢力を伸ばしていた小山田・大井・今井などの国人と戦った末に甲斐国を統一・平定し、武田氏を強大な戦国大名に成長させた。 

 

 甲斐国は、南に駿河、北と西に信濃、東に相模のそれぞれ今川・諏訪・小笠原・村上・北条などの外敵を持っていた。信虎は、こうした外敵と時には同盟し、あるいは離反しながら、信濃佐久地方をはじめとして侵攻を展開した。しかしそれまで敵として戦ってきた駿河・今川氏の内訌(花倉の乱)を機に、信虎は義元を援助して勝利させ、後には娘を嫁がせて武田・今川同盟を成立させた。

 

 だが、信虎の甲斐国統治・家臣団制御には徐々に反発が生じ、同時に天候異変やそれによる農業の不作などがあって、家臣団・国人・領民の心が信虎から離れ、さらには怨嗟・憎悪に繋がっていった。その結果、天文10年(1541)6月、嫡子・信玄(晴信)のクーデターによって、駿河に追放となった。信虎48歳であった。信虎の、信濃を標的にした国外経略は、家督を継いだ信玄が引き継ぐことになる。

 

 追放後に隠居して「道因」と名乗った信虎の駿河滞在中の経費・生活費は約束によって信玄が賄ったこともあって、信虎は駿河では悠々自適の生活を送っている。この駿河時代には武田信友(のぶとも)など後に武将として信玄を支える弟も生まれている。駿河の信虎は、信玄のために諜報役も担っており、今川義元が桶狭間合戦で織田信長に討ち取られた後には、信玄に対して「早く駿河に侵攻すべし」などという手紙まで送っている。

 

 信虎は今川家を継いだ孫・氏真(うじざね)とは折り合いが悪く、永禄6年(1563)には駿河を去って京都に出る。13代将軍・足利義輝の相伴衆(しょうばんしゅう)となり、さらには15代将軍・義昭と信長が不和になると、信玄のためにせっせと京都の情勢を知らせると同時に、信長打倒のための挙兵さえ繰り返している(もっとも信長にとっては、将兵さえほとんどいない信虎の存在は歯牙にも掛からなかったが)。

 

 信虎は、信玄が義昭の御内書(ごないしょ)を得て西上の途に着くと、その到着を義昭とともに待ちわびた。三方ヶ原(みかたがはら)合戦で織田・徳川連合軍に大勝するなど破竹の進撃をした武田軍団であったが、元亀4年(1573)4月、伊那・駒場で信玄の病死を知って信虎は大きな衝撃を受けた。

 

 その後、京都を去って流浪生活を送った信虎は、天正2年(1574)5女が嫁いだ信濃・伊那の禰津(ねづ)氏のところに転がり込んだ。武田家は勝頼の時代になっていた。

 

 そして信虎は当時高遠(たかとお)城主であった3男(信玄の弟)・逍遙軒信廉(のぶかど)を訪ねた。甲府ではなかったが、信虎には追放以来33年ぶりの帰郷ともいえた。高遠城では、勝頼や重臣たちとの面会もあった。そして3月5日、信虎は病死した。老衰であった。いずれにしても信虎は、甲府追放後33年を生き延び、81歳の長命を全うしたのであった。

KEYWORDS:

過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

最新号案内

歴史人 10月号

日本史の偉人200

日本史の偉人たちは、国難や危機をどのように乗り越えてきたのか?