名門戦闘機メーカー最後の作品【スーパーマリン・シミター】
超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第22回】
第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。

1962年9月8日、ファーンボロー国際航空ショーで編隊離陸を見せる海軍第736中隊所属のスーパーマリン・シミター。
第2次大戦終結時、アメリカ海軍に次いで多数の空母を保有していたイギリス海軍は、すでに大戦中から同国の空軍がジェット戦闘機を運用していたこともあって、大戦末期には艦上ジェット戦闘機の開発に着手した。
これに参加したのが、第2次大戦で大活躍し、時に「救国の戦闘機」とも呼ばれるようになった、スピットファイアを世に出したスーパーマリン社だった。
当時、イギリス海軍は機体の軽量化を図るため、ゴム製の飛行甲板を用いて、脚を備えない艦上機を運用する構想を 持っていた。そこで最初は、この目的で発案された直線翼を備える艦上戦闘機をベースとして発展した、同じく直線翼と脚を備える社内名称タイプ508が、1951年8月31日に初飛行に成功。
続いて、このタイプ508の後退翼化が行われることになり、こうしてタイプ525が造られると、1954年4月27日に初飛行した。さらにスーパーマリン社は、イギリス海軍の要望を受けて同機に改修を加えてタイプ544を開発。同機に小改良を加えた機体が1956年1月19日に初飛行すると、シミターとして制式化された。
イギリス海軍は当初、シミターを戦闘機にしようと考えていたが、構造が堅牢(けんろう)で汎用性の高い機体だったので、途中から攻撃機としても運用することにされた。そのため本機は、イギリス艦上機として初めて核爆弾の運用能力を持つ機体となった。
シミターは、1958年の運用開始当時、イギリス海軍でもっとも大型の艦上機だった。生産機数は76機と少なかったが、これは後継となるブラックバーン・バッカニアが順調に開発されたためだった。
ところがシミターは、特に着艦時の事故発生率が高い機体で、実に39機が事故によって失われている。
にもかかわらず、バッカニアの就役後、同機は兵装と燃料を満載した状態ではイギリス空母から発艦できなかったので、兵装を満載し燃料を減らした状態で発艦。空中給油装置を装備したシミターが、飛行しながらバッカニアに給油して燃料を満載にするという役割を担った。
なお、シミターは名門航空機メーカーのスーパーマリン社が設計した最後の機体で、以降、同社はヴィッカース社の傘下となった。また、生産機数の少なさでもわかるように、本機はイギリス海軍のみで運用され、1969年に退役している。