MiG-21の「兄貴分」として誕生した戦闘爆撃機【Su-7フィッター】
超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第17回】
第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。

ポーランド空軍が運用中のSu-7フィッター。東西冷戦時代のヨーロッパ正面における本機の主なユーザーは、開発国であるソ連に加えてポーランドとチェコスロヴァキアであった。
東西冷戦がますます熾烈になりつつあった1955年6月、デルタ翼の主翼に後退翼の水平尾翼と垂直尾翼を組み合わせた単発エンジンのMiG-21フィッシュベッドが初飛行した。その結果、前線の設備が乏しい飛行場でも運用可能な軽量級の優秀な戦闘機が誕生することになる。
一方、スホーイ設計局はこのフィッシュベッドにやや遅れて、同じ単発ながらやや大型の、やはり前線飛行場での運用が可能な戦闘機Su-7を開発しており、のちにフィッターのNATOコードネームを付与された本機は、MiG-21にやや遅れて1955年9月7日に初飛行した。
MiG-21と同じく機首にエア・インテークが設けられ、主翼、水平尾翼、垂直尾翼の3翼がいずれも鋭角の後退翼を備えたSu-7は、純然たる戦闘機としては総合性能でMiG-21に劣る機体だった。しかし低空域での高速飛行性能に優れていたことから、ソ連空軍は本機を戦闘爆撃機として再開発した。
Su-7は、航続距離が短い点と着陸速度が速い点が弱点とされたが、低空域での飛行特性は良好で、しかも既述のごとく低空域での高速性能に優れていたことから、戦闘爆撃機として重用されることになった。
また、整備や再武装が容易でターンアラウンド性に優れ、しかも大きなダメージを負っても帰還できるだけのタフさを備えていた。第3次印パ戦争の記録では、インド空軍のSu-7は1日最大6回ものターンアラウンドを繰り返したという。そして同戦争では、パキスタン機が発射した空対空ミサイルの直撃を受けて大損傷を蒙ったにもかかわらず、生還した本機もあったという。
ヨーロッパ方面では、有事にはNATO諸国の戦闘爆撃機がアメリカの提供する核爆弾を搭載して核攻撃に出撃する取り決めがあったが、ワルシャワ条約国の空軍の一部の機体も、ソ連が提供する核爆弾を用いて同様に運用されることになっていた。そのためポーランド空軍やチェコスロヴァキア空軍も、対地攻撃だけでなく、必要に応じて核攻撃にも対応するためSu-7を装備していた。