彼の功績なしにはプロ野球の発展はなかった!? 日米野球の架け橋となった「キャピー原田」を知っているか?
あなたの知らない野球の歴史
■キャピー原田の功績
1945年12月正力松太郎がA級戦犯容疑で巣鴨プリズンに収監、翌年1月に公職追放、さらに1947年9月不起訴で釈放となった。この数年間、プロ野球はもちろん日米野球も反正力派の手中にあった。読売新聞社の社長はリベラリストの馬場恒吾、取締役には安田庄司、四方田義茂、武藤三徳など。彼らが正力の不在中、実権を握っていた。リーグ分裂後はセ・リーグ会長にもなった安田だったが、1リーグ時代から選手引き抜きを公然と行い、さらに武藤などは南海のエース別所毅彦投手を巨人に引き抜いて連盟からペナルティを与えられる事件にもなっている。当時はプロ野球界も正常に動いていたとは言えない。
1949年のサンフランシスコ・シールズ招聘に尽力した人物に原田恒男中尉(キャピー原田)がいる。シールズ監督のオドールと懇意になり、2人は球界でイニシアチブを発揮する反正力派が率いる読売と交流を深めていった。
その原田はESS[経済科学局]局長のウィリアム・マーカット少将の部下で副官を務めていた。マーカットといえば、M資金で有名である。日本から接収した財産を秘密裏に運用するための資金という話が流布され、これを巡って詐欺事件(俳優、田宮二郎もまき込まれたとされる事件)が多発した。
このころ原田は、マーカットの威信を背景に日本球界に深くかかわるようになった。甲子園の接収解除、球場での日の丸掲揚、シールズ招聘、水原茂のシベリアからの帰還工作、初期の日米野球交流などに尽力、それが評価され、2009(平成21)年に旭日小綬章を受けている。
原田は退役すると日本に残った。このころから原田の行動は不可解になる。まず球界でコミッショナーに色気を見せる。これは日本野球連盟の鈴木龍二と鈴木惣太郎が阻止している。彼らが日本球界を熟知しない日系人には困難と認識するのは当然だった。さらに、原田は旅行会社でハワイ・トラベル・サービスを組織(後に東急観光と合併)、女優の暁テル子と結婚(10年後に離婚)、さらに安田庄司副社長と交渉して1951年2月、カリフォルニア州モデストで4人の選手を連れて行くキャンプを実施した。もちろん原田の手配だが同地はオドール率いるシールズのキャンプ地である。当時まだ海外渡航など簡単ではない時代である。日本球界で初のキャンプ体験だった。
これだけではなかった。1951年秋にオドールは原田と協力して米選抜チームを来日させた。しかし、オドールの神通力も弱まったのか、ジョー・ディマジオ兄弟、後のヤンキースの監督になるビリー・マーチン選手などを除いて一流スターは余り居らず、鈴木惣太郎は「あまりに小粒」と吐露している。
そして次が企画したのが1953年のカリフォルニア州サンタマリアでの巨人のキャンプだった。このサンタマリアは原田の故郷であり、故郷に錦を飾るという私情が入るプランだった。キャンプは記者団を連れた大名旅行だったが、試合を実施しても球場に観衆は集まらず、杜撰な計画であっという間に赤字になり、ホテルを追い出された選手たちは宿泊所も転々とすることになった。団長役だった宇野庄治代表は原田のプランの曖昧さに驚くことになる。その後、読売に復帰した正力は怒って宇野代表を解任している。
1954年春には、ジョー・ディマジオとマリリン・モンロー夫妻が来日、これも原田やオドールが仲介して読売がサポートしたものだった。その後原田は、1955年の巨人の中南米遠征、オーストラリア遠征と次々と海外遠征を企画して旅行会社と巨人の国際担当を使い分けて読売を動かした。オドールでさえ、後年、鈴木惣太郎になぜ野球大国でもないオーストラリアに遠征するのかわからないと述べるほどだった。
一方、オドールは日本で野球学校を創設する話持ち出したが、これは上手くいかず、さらにオドールと原田は「50万ドルの資金」でオドール・エンタープライズ・インコーポレーションを設立している。要するに日米野球だけではなく、輸出入を扱う会社で野球興行からの事業拡大ということになる。彼らは、この会社に鈴木惣太郎も参加しないかと誘っている。このように原田は興行師だけではなく、日米間で貿易業をビジネスチャンスと見ていた。
他方で、原田は積極的に日系人選手をスカウトしている。ウォーリー与那嶺に始まり、広田順、エンディー宮本など日系人選手を次々と獲得して巨人に入団させている。日本球界に日系人選手が増えるのは、これが誘因になっている。
このように原田は、球界にいろいろな影響をもたらした。巨人への日系人選手獲得では功績もあったが、正力が完全に実験を取り戻す前に、巨人の海外遠征では自身のツアー会社が担当して莫大な費用を使い、果たして本当に日米野球の架け橋になったのか、これは是々非々で吟味しなくてはならない。

巨人軍が初の海外キャンプを行ったカリフォルニア州サンタマリア イラスト/AC