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月に1日しか参拝できない神社。その理由は……? キッコーマン創業家の一つを訪ねる 琴平神社/千葉県野田市

神社仏閣好きラノベ作家 森田季節の推し寺社ぶらり【第29回】

 


津々浦々の神社・仏閣を訪ね歩くことを趣味にしているライトノベル作家の森田季節さん。全国に約16万もあるという神社・仏閣の中から、知見を生かしたマニアックな視点で神社・仏閣を紹介! あなたをめくるめく寺社探訪の旅に招待します。興味を持った方はぜひ現地に訪れてみよう。


 

明治5年(1872)建築の琴平神社の本殿。茂木家はキッコーマンの創業家の一つ。

■毎月10日のみ一般に開放される神社

 

 今回は月に1日しか参拝することができない神社を紹介します。場所は千葉県野田市の琴平神社。境内の建物は多くが明治時代頃のもので国の登録有形文化財になっており、100年以上前の神社の雰囲気がよく残されています。参拝が月に1日だけで立ち入る人の数が限られているというのも、落ち着いた雰囲気が維持できている理由なのでしょう。

 

 では、どうしてこの神社は月に1日(今後変更になることもあるかもですが、市のページで確認すると現状は毎月10日)しか参拝できないのでしょうか? これは文化庁のページに記載されている神社の名前を見ればわかります。文化庁のページで確認すると、この神社は「茂木七郎右衛門家(もぎしちろうえもんけ)住宅琴平神社」と表記されています。つまり、概念上は一般の方のお宅の敷地にある神社なわけです。とはいえ、そのへんの一軒家のスケールではないです。茂木七郎右衛門家は野田の主要産業である醤油醸造で大きな役目を果たした一族で、神社以外の建物も(住人の方がお住まいなので見学はできませんが)多くが国の登録有形文化財になっています。

 

 つまり、雑にまとめると「野田という街を作った大商人の邸宅の敷地内にある神社」というわけです。邸宅の敷地内にあるので、年中無休で誰かが立ち寄ったら大問題。月に1日のみの参拝ということになってるわけです。実は昔ながらの大邸宅の敷地に神社があることは珍しくありません。戦前にできた入館料を払って見学できるタイプの大邸宅は、庭に屋敷を守る小さなお社が鎮座していることが多いです。統計を取ってないのでイメージですが、商売繁盛を願ってか、稲荷神社であることが多い気がします。

 

茂木七郎右衛門家の建造物は、琴平神社をはじめ18件が「国の登録有形文化財」に指定されている。

 ですが、そういった庭にお社があるパターンとこの琴平神社はまったく違います。社殿があるだけでなく手水舎、神楽殿、さらには絵馬をかける額殿までも揃っていて、神社の境内がそのまますっぽり入っています。上の写真をごらんください。人の家の敷地ではなくて、神社遠景にしか見えませんよね。

 

 琴平神社の近くには茂木本家美術館、野田市郷土博物館などもありますし、少し離れたところに上花輪(かみはなわ)歴史館もありますので、醤油や野田の歴史についていろいろ勉強できます。上花輪歴史館も江戸時代から醤油醸造に携わってきた髙梨家の邸宅で庭園も見学できます。そういえば、こちらの拝観エリアにある神社も手水舎や神楽殿がありました。野田で醤油造りを行ってきた人たちは相当に信心深かったのかもしれません。

 

 帰りに東武の野田市駅のほうに歩いていくと、ほどよく醤油の香りが漂ってきました。都市の産業が嗅覚でわかるレアな街です。

 

こちらもキッコーマン創業家の一つ髙梨兵左衛門家の門。髙梨家は武家ではないので、長屋門ではなく門長屋(もんながや)と呼ぶ。

 

 

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森田季節もりたきせつ

1984 年生まれ、兵庫県出身。作家。東北芸術工科大学特別講師。京都大学文学部卒業、京都大学大学院文学研究科修士課程中退(日本史学専修)。大学院在学中の2008年、『ベネズエラ・ビター・マイ・スウィート』で第4回MF文庫Jライトノベル新人賞優秀賞を受賞してデビュー。主な著書に『スライム倒して300年、知らないうちにレベルMAXになってました』(GAノベル)、『物理的に孤立している俺の高校生活』(ガガガ文庫)、『ウタカイ 異能短歌遊戯』(ハヤカワ文庫)などがある。

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