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女性と結婚しながら男性と恋に落ちた文豪・志賀直哉の「身勝手すぎる罵倒」とは?

炎上とスキャンダルの歴史


明治〜大正の文豪である志賀直哉と里見弴は、ともに女性と結婚していながら恋愛関係にあった。あるとき、志賀が里見に「汝(なんじ)穢(けが)らわしき者よ」とだけ書いたハガキを送りつけ二人は絶交状態に陥るが、どういった経緯だったのだろうか?


 

■肉体関係を持たなかったビッグカップル

志賀直哉

 

 明治〜大正期の「文豪」同士のビッグカップルとして知られる志賀直哉と里見弴ですが、生涯、肉体関係を持つことはなく、プラトニックのままでした。

 

 その理由について志賀と里見が語ることはなかったので、すべては推測となりますが、「十二、三の時分、一時、私は慥(たしか)に志賀君に惚れていた(『志賀君との交友記』)」などと、里見弴からの「告白」が目立つため、志賀より5歳年下の里見のほうが積極的だった印象があります。しかし、実際は、志賀からも強い感情が里見に対して向けられていたようです。

 

 比較的、早いうちに「関係」にキリをつけることができたのが里見で、それゆえ客観視もできたのに対し、志賀はいつまでも里見への気持ちを引きずっていたので、なかなか作品に仕上げることができなかったと推測できるかもしれません。

 

 また、志賀が里見に恋情を抱きつつも、関係を具体的に進められないままでいるうちに、里見は志賀とは恋人ではなく、親友になろうと考えはじめ、気持ちのズレが両者に不和をもたらしていった……そのように筆者は解釈しています。

 

 大正5年(1916年)頃、両者の関係はかなりゴタついており、里見のことをあいかわらず自分の「ちご(稚児)」として、支配下に置こうとする志賀に対し、里見が反抗的な姿勢を見せるようになりました。ちなみに両者ともに、この時期の直前に女性と結婚しています(志賀の結婚が大正3年・1914年で、里見がその翌年)。

 

 里見は、志賀に「君がいつも僕に対して持ってくれる好意友情は実に有難いと思っている」が、「君に対してそれだけの好意友情が持てない」と告白し、それを「心苦しいことだ」という手紙を送りました。この時点で、関係は終わりそうなものですが、志賀がなんとか持ちこたえ、交友は続きました。

 

 しかし、関係の亀裂が決定的になったのは、大正5年に「中央公論」誌に里見が発表した『善心悪心』という短編を志賀が読んだ時でした。 

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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