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布団にもぐり込み、密着…カリスマ学者による“性加害”事件 黙認されつづけた昭和期のセクハラとは

炎上とスキャンダルの歴史


世間を騒がせている故・ジャニー喜多川氏の性加害問題。少年たちの布団の中に潜り込んで無理やり同衾したという証言も次々に出ているが、近いやり口で弟子たちにセクハラを働いたのが、昭和のカリスマ学者・折口信夫(おりくちしのぶ)だった。門下の弟子たちも加害を黙認していたというが、折口は自身の行為をどのように「正当化」していたのだろうか?


 

■自分の身代わりに、師匠の「夜の相手」を探し…

折口信夫

「女は汚い」といって、炊事洗濯、世間づきあいにいたるまでの生活のすべてを男の弟子に取り仕切らせていた民俗学者・歌人の折口信夫。折口には藤井春洋(ふじいはるみ)という愛弟子がおり、彼とは「十五年間も一緒に暮らして」きた夫婦同然の仲でした。

 

 しかし、藤井は、太平洋戦争後期の昭和181943)年、地元・金沢から出征することが決定し、自分の後釜を探すことになりました。思えば、夫の妾を正妻が探すという習慣がまだ残っていた時代の話です。

 

 藤井春洋は、戦争にいく自分の身代わりとして、おそらくは折口信夫が好いていると確信した上で加藤守雄(かとうもりお)という弟子を選び、折口の箱根の別荘に呼び寄せたのでした。

 

 折口も、夜の相手の男性をあてがわれるというところまで、生活のすべてを「正妻」藤井にまかせきっていたのでしょう。彼は隣で寝ている加藤の布団にもぐりこみ、密着し、愛の言葉をささやきます。

 

 しかし、加藤には折口を「師」ではなく、「男性」として受け入れるだけの意思などありませんでした。はね起きて拒絶し、実家へと逃げ帰りますが、その後も加藤は折口の執拗なアプローチを受けることになります。

 

■「森蘭丸は織田信長に愛されて歴史に名が残った。ぼくに愛されて名を残せばいい」

 

 加藤の回想録『わが師 折口信夫』によると、折口には「師弟関係は単に師匠の学説を受け継ぐというだけでは功利的なことになってしまう」という“信念”があったそうです。

 

「師弟というものは、そこ(同性愛)までゆかないと、完全ではない」――お互いが強く望んで、そうなるのであれば、それは余人が口出しすべき問題ではないのですが、「師」である立場を利用した折口が、年下男性への性加害を正当化する言葉だと思えてしまいます。

 

 それに折口の目から見て、加藤は文学の才能に乏しく、「歌が下手だ」という評価すら下していました。「森蘭丸は織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と、加藤を口説いたことまでありましたが、結局、加藤は折口を見捨て、彼らは異なる道を歩むことになります。二人が再会したのは、折口の最晩年で、体調不良が続く折口に末期がんが見つかった時のことでした。

 

 折口信夫の殺し文句は「ぼくから離れていったものは、みんな不幸になるね」だったそうです。弟子にとって師匠はカリスマですから、その言葉ひとつでなんとかなることもあったのでしょう。

 

 しかし、折口の弟子への性加害と、それを黙認し続けていた門下の闇は、加藤守雄という一人の反逆者の告発によって光の下に晒され、文学史に刻まれることになってしまったのでした。

 

画像…折口信夫全集 第20 (神道宗教篇 折口博士記念会 編 中央公論社 1956 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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