「女が人前で酒を飲むな!」マスコミが叩いたフェミニズム雑誌『青鞜』騒動
炎上とスキャンダルの歴史4
フェミニズムの先駆者・平塚らいてうによって創刊された『青鞜』。あるとき、若い女性メンバー・尾竹紅吉が「カラフルなカクテルを飲んだ」と自慢したことで、「人前で大っぴらに酒を飲む女はけしからん」と批判にさらされた。さらに紅吉がスキャンダルを連発したことで、『青鞜』は「色欲の餓鬼の集団」と罵倒され、投石が相次ぐまでに大炎上していく。
■お酒を飲んだだけなのに…
日本における元祖フェミニスト・平塚らいてうが、「原始、女性は実に太陽であった」と語り、与謝野晶子は、女性による、女性に向けた文芸誌『青鞜』の誕生を祝って「山の動く日来る」と歌いました(『そぞろごと』)。
初版を売り切るなど好評を博し、世間から「新しい女の代表的団体」とも認められつつあった『青鞜』ですが、画家一家の娘・尾竹紅吉のスキャンダルによってさらなる注目を浴び、同時に大炎上の連続に導かれていきます。
『青鞜』の思想に憧れ、富山県から上京してきた紅吉ですが、恋い焦がれているといってもよいほどの感情を傾けて平塚にすりよった一方、平塚も紅吉を大変にかわいがったので、両者の関係はずぶずぶと深まっていきます。そこで起きてしまったのが「五色の酒事件」と「吉原登楼事件」という大炎上事件でした。
ある時、紅吉は芸術家やマスコミ関係者から人気だったレストラン・バーの「メイゾン鴻の巣」まで広告を取りに行ったのですが、そこでアルコール濃度の違う「五色につぎ分けたお酒を青いムギワタの管(=ストロー)で」飲んだと、大新聞記者相手に自慢げに語ってしまいました。現在なら、五色のカクテルはインスタに載せたら「ばえる」でしょうし、実に他愛の無い行為でしょう。
しかし、「人前で大っぴらに酒を飲む女はけしからん」と感じた記者は、『読売新聞』の「文芸雑誌月評」において、紅吉の言動を「浅慮から来る可哀らしさ」とバカにしながら語ります。『青鞜』の他の面々についても、「新しい女」を自称しながら、世間の並の男のように酒を飲んで喜んでいるだけ、と暗に批判したのです。これがきっかけとなって、『青鞜』はふたたび炎上してしまいます。
さらに同時期の紅吉は、彼女の叔父のコネを使い、平塚らいてうなども連れ、吉原にあった名店・大文字楼に行って、花魁を囲んで一晩過ごすことでも炎上しています。
■花魁の苦労を顧みない発言が炎上のタネに
当時の人気新聞『万朝報』には、「私の花魁は栄山さんと云う可愛い人でしたよ(略)私は真実(ほんとう)に見受がしたくなり(略)もし男だったらと男が羨ましくなりました」と語った紅吉の談話が掲載されます。
その2日後には『国民新聞』が、「所謂(いわゆる)新しい女」というタイトルの『青鞜』批判記事を掲載。貧しい生まれだからこそ吉原に売り飛ばされた花魁の苦労も顧みず、金持ちの叔父のおごりで吉原で豪遊、「男だったらよかった」などと語る紅吉や、彼女の属する『青鞜』は、人口の大半を閉める貧困層の女性の現実を見ようとしていない、ただの理想主義者のお嬢様軍団にすぎない……というバッシングを仕掛けてきたのです。
■「色欲の餓鬼の集団」と罵倒され、投石された『青鞜』
さらに紅吉は、平塚らいてうの年下の恋人・奥村博に本気で嫉妬し、彼に「モンスター」と署名した殺害予告を送り付けるなど、『青鞜』の台風の目として暴れ回りました。『青鞜』は「色欲の餓鬼」の集団だと罵倒され、雑誌を編集する「青鞜社」には投石が相次ぎ、「新しい女」を目指したものの、ただのスキャンダルメーカーにしかなれなかった紅吉は、平塚とも対立、『青鞜』を去ることになります。
明治末期という男性中心社会において、公然たる飲酒や吉原といった、男性だけに許された「聖域」を侵犯した彼女の「罪」に対する「罰」はあまりにも大きかったようです。たしかに尾竹紅吉はお騒がせな女ですが、そこまで叩かれるべき存在だったのでしょうか……。

平塚らいてうの記念碑