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闇に葬られかけた昭和期の「性加害」 公然の秘密だった、学者・折口信夫のセクハラ

炎上とスキャンダルの歴史


連日、話題となっているジャニー喜多川氏の性加害問題。「公然の秘密」として黙認されてきたこともこの問題の異常性とされているが、同じように闇に葬られかけた性加害があった。それが、カリスマ的な学者であった折口信夫(おりくちしのぶ)による弟子たちへのセクハラである。「布団の中に潜り込んで襲っても、セクハラが暗黙の了解となっていて誰も騒がなかった」「折口の死後、被害者が事実を語ると批判を浴びた」など、ジャニーズ問題で報道されている内容と類似点も多い折口の事件について、経緯を見ていこう。


 

■立場を利用して弟子に迫った学者・折口信夫

折口信夫

 日本中を騒がせている故・ジャニー喜多川氏による性加害問題。BBCで放送されたドキュメンタリー「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」では、かつてジャニー氏から性加害を受けながらも、今でも彼のことが大好きだという男性について、ジャーナリストが「グルーミングを受けた結果だ」と指摘する場面がありました。

 

「グルーミング」とは、「身だしなみを整える」という意味でよく使われ、日本でも口語化していますが、年長の加害者が、年少の性被害者に対し、自分の立場や権威を利用して、性加害を行うための手段という意味もあるのです。

 

 筆者がジャニーズ事件から思い出したのが、昭和中期の文壇スキャンダルです。古代から現代にいたるまでの文学に通じ、民俗学者、歌人などさまざまな肩書を持つ折口信夫は、太平洋戦争中、戦意高揚のカリスマとしてさまざまな執筆、講演活動に従事していました。

 

 そんな彼が弟子の加藤守雄(かとうもりお)に恋をして、拒まれてもなお、あの手、この手を使いつつ、執拗に関係を迫った事件があったのです。

 

■「女は汚い」と、男弟子に家事をさせた文豪・折口信夫

 

 折口と加藤が急接近したのは、昭和181943)年のことでした。太平洋戦争末期の当時、折口の一番弟子の藤井春洋(ふじいはるみ)が故郷・金沢から出征することになったのです。

 

 折口と藤井はのちに養子縁組を結びますが、ただの義父子ではなかったようです。折口は女性嫌いで、「女は汚い」といって、料理も男性が作ったものしか食べないので、藤井がまるで折口の妻のように、「身辺の世話から、家事や世間づきあいのはしばしまで」すべて、取り仕切っていたのでした。

 

 そうやって折口と「今日まで十五年間も一緒に暮らして」きた一番弟子の藤井から、「あなたにも相談したいことがあるんです」という電話を受けた加藤は、本当にその時点で何も勘づかなかったのか、とも思うのですが、ホイホイと折口の箱根の別荘に出かけていくのです。

 

■「じっと体をこごめているよりなかった」

 

 そしてある晩、ほかの弟子たちが隣室に寝ているにもかかわらず、折口が加藤の布団に入ってきて、彼の耳元で、短髪にした加藤の魅力について囁(ささや)き、「(藤井)春陽は、ぼくの好きなひとを良く知っている。だから君に頼んだんだね」などと「告白」されたのでした。

 

 しかし、この時点でもなお、加藤は折口を拒否しようとは思いつきもしませんでした。

 

 折口は段階を踏みながら、加藤に接近しているのですが、加藤は折口の欲望などは想像もできず、「非常識なやり方だけに、先生(=折口)らしい愛情の現し方だ」と思いながらも「無抵抗に、じっと体をこごめているよりなかった」そうです。まさに「グルーミング」の魔力というべきでしょうか。

 

■布団の中でのセクハラが「暗黙の了解」になっていた

 

 最初は拒むことさえ考えもつかなかった加藤ですが、「君は書生仲間でつかう、体を裏返すということばを知っているか」と囁く折口からキスされた瞬間、本能的な拒絶に突き動かされた加藤は「なにか叫んで床の上にはね起きた」のでした。

 

 隣室には、他の弟子たちが寝ていたはずなのですが、異常な物音が聞こえても、誰ひとり起きてこなかったので、すべては折口門下の暗黙の了解のうちに行われていたことなのだと思われます。おそらく、加藤守雄の以前にもこういうことは何度もあったのでしょう。

 

 折口は加藤から拒絶されることなど、まったく予期していなかったようです。まさかの抵抗に狼狽した折口は「若かったら自殺しただろう」としょげかえり、真夜中にもかかわらず出ていこうとする彼をなんとか慰留しました。しかし、加藤は「師に裏切られた」という思いを強め、勤めていた東京の高校も辞め、名古屋の実家まで戻ってしまいます。

 

■折口の死後、セクハラについて書籍で告白

 

 折口は加藤の実家を訪ね、ふたたび加藤を東京に呼び戻すため、大学での講師のポストを見つけてきて与え、その後は“無害な老人”や“協力者”を装いつつも、獲物を狙う蛇のように加藤に関係を迫り続けました。しかし結局、加藤が折口を受け入れることはありませんでした。

 

 加藤は後年、自分が受けたセクハラに関して『わが師 折口信夫(以下、わが師)』という著書で発表します。折口が複数の弟子と関係を持っていたことは“公然の秘密”だったので、それを折口の死後に加藤が世間に晒した行為には、「一体何を考えているのか……」という非難もありました。現在でもそうした意見は散見されます。「師匠の“短所”は明るみに出さず、闇に葬るのが弟子のつとめだろう」とでもいいたいのでしょうか?

 

 

画像…折口信夫全集 第卅一巻 折口博士記念会 編 中央公論社 昭和32 出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

 

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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