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女性と結婚しながら男性と恋に落ちた文豪・志賀直哉の「身勝手すぎる罵倒」とは?

炎上とスキャンダルの歴史

 

■「女体への耽溺」を不潔と感じた?

 

 当時の里見は、スランプ気味の志賀をさしおき、新進作家として地位を固めつつありました。志賀は汽車の窓から雑誌を投げ捨て、駅につくと郵便局に直行、そこから「汝穢らわしき者よ」とだけ書いたハガキを里見に送り付け、彼らは長年の絶交状態に陥ったのです。

 

 この『善心悪心』という作品のどこが志賀直哉の逆鱗に触れたかについては、明かされておらず、諸説あります。が、通読する限り、馴染みの遊女との関係を金で精算しようとしている主人公(=里見)の姿や、志賀をモデルとした人物に対し、主人公が初体験の女性について嘘をつきつづけていたとも書かれており、それらすべてに志賀が衝撃を受けた結果、彼の心の底から出てきた言葉が「汝穢らわしき者よ」という里見への痛罵だったのでしょう。

 

 そもそも志賀の手引があって、里見も遊郭に通うようになったのですが、その志賀の目に余るほどに里見の女体への耽溺ぶりが感じられ、志賀がそれを不潔だと思ってしまったのでは、とも思われます。

 

 なお、日本の伝統的な男性同性愛のルールには、指導的立場の「念者」のご乱行は多目に見るべきだけれど、愛される側の「念弟」の浮気はご法度というものがありました。志賀も伝統的な価値観に支配されていたということでしょうか。

 

 里見との絶交時代に、志賀直哉は彼の唯一の長編小説『暗夜行路』の執筆を進めていくのですが、この作品の中でも志賀は、ヒロインが複数の男と関係を(たとえそれが性加害の結果だとしても)持ってしまったことが許せず、悩み苦しむ主人公の気持ちに肉薄しています。なんにせよ、自身の貞操はヨコに置いて、相手の貞操には非常に厳しくなってしまう……それが志賀直哉という「明治男」なのでした。

 

 後に志賀と里見は友人たちの手によって和解し、その後は生涯、親しく付き合いましたが、プラトニックのほうが逆に濃い絆になりうることもあるのだな、と思わせられてなりません。

 

画像出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」(https://www.ndl.go.jp/portrait/)

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堀江宏樹ほりえひろき

作家・歴史エッセイスト。日本文藝家協会正会員。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。 日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)、近著に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)、『こじらせ文学史』(ABCアーク)、原案・監修のマンガに『ラ・マキユーズ ~ヴェルサイユの化粧師~』 (KADOKAWA)など。

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