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【ランキング】強いリーダーシップを発揮し戦国の世を生き抜いた戦国武将のなかで「現在の社長だったらいいな」と思う人物は?

歴史人ランキング

権謀術数渦巻く戦国時代。優秀な人物でなくては生き残れなかったことでしょう。強いリーダーシップで家臣たちをまとめ、生死をかけていた戦国時代。現在では計り知れない求心力をもっていたにちがいないでしょう。今回の雑誌『歴史人』のアンケートは、「戦国武将の中で、”社長だったらいいなあ”と思う人物は誰?」。集計結果の第3位から第1位までを発表します。 


 

豊臣秀吉

 

第3位 「豊臣秀吉」 投票数:28

 

 第3位は、同数28票で「豊臣秀吉(とよとみ・ひでよし)」。

 

 農民出身で信長の草履取りをしていた秀吉は、やがて信長の天下獲りを支え、天下人となったことは誰もが知るところです。人から気に入られるだけでなく、合理的精神で実務をこなす仕事も出来る人物だったようです。

 

 信長から与えられた長浜に築城し本拠を構えました。そして城下町の整備にも着手。秀吉の城下町振興策で、長浜は大いに発展を遂げたといいます。さらに長浜城主として配下の家臣団の整備を行うなどして領内の統治に腐心しました。これらのことから秀吉はトップとして優れていたことがうかがえるのではないでしょうか。

 

 秀吉に票を投じた人からは、「智力があり、人望もある武将。自身が類まれなる出世を果たしたのと同じく、あれよ、あれよという間に会社も大きくなっていきそうです」「一番下からトップになった人物だけに、現場の人の気持ちもわかりそう。会社が大きくなったら社員達にも還元してくれそう」という好意的なコメントが寄せられました。

 

第2位 「明智光秀」 投票数:48

 

 第2位は、明智光秀(あけち・みつひで)で57票を獲得。3位の豊臣秀吉に20票以上も差を付けました。カリスマ武将・織田信長に仕えるも、本能寺の変で反逆。逆臣の悪名を刻まれましたが、近年では古典的教養や軍事的才能、領国での善政などが再評価されています。

 

 明智一族である光秀は、幼い頃から兵法・武術はもとより有職故実(ゆうそくこじつ)や文化・教養を身に付けており、特に連歌や茶の湯に秀でていたそうです。

 

 足利義昭(あしかが・よしあき)が信長に上洛援助を要請した際の交渉役が光秀。この折に、信長は光秀の有能さを見抜き、自分に仕えるように促したといわれています。典礼・作法を身に付けており、外交などに必要な文化教養もある光秀の能力は、織田家臣団にはないものでした。さらに光秀は経済・内政にも明るく、築城術の達人でもあり、武人としても秀でた存在でした。

 

 光秀を評価した人の多くが、こうした能力に目を留めたようです。「光秀からは、ずば抜けた知性の高さを感じます。戦国時代トップクラスの教養と知識の持ち主だったのではないでしょうか」「信長の勢力拡大は、光秀がいたからこそ。織田家臣の中で、”中途採用”ながら抜群の活躍でトップまで昇り詰めました」など高く評価する声が寄せられました。

 

第1位 「黒田官兵衛」 投票数:54 票 

 

  光秀を6票上回り、54票で1位となったのは黒田官兵衛(くろだ・かんべえ)。豊臣秀吉の天下統一を支え、戦国最強の軍師として名高い人物です。

 

 官兵衛の才能に目を付けたのは、織田信長。信長に拝謁した際に、弁舌の才を高く評価され智将として認知されることになります。以後、官兵衛は、中国進出、天下統一戦の戦略・戦術から外交まで一手に担い、賞賛を集めました。

 

 そして、本能寺の変が起きた際には、中国大返しを秀吉に提言。また秀吉の死後、混乱する政局の中、次の天下人は徳川家康だと見抜き、嫡男・長政に反三成派として活動させるなど危険な賭けに出ない戦術も智将とされる理由のようです。

 

 また、巧みな領国経営の手腕も発揮。「黒田二十四騎」と称される家臣団を形成し、「黒田如水教諭」では家臣や領民との信頼関係の大切さや知識を習得する大切さを説いています。

 

 軍師としての能力の高さから、「官兵衛こそ頭脳明晰な武将」と考える人が多かったようです。「中国攻めから分かるように、頭脳を使っての活躍が印象的な武将です」「中津城を守っていた折、官兵衛は百姓を中心に9,000余りの兵を率いて出陣。この戦いを含む石垣原の戦いで、勝利を収めました。官兵衛には、頭の切れが抜群だったことを思わせる戦が多くあります」などの意見がありました。

 

(アンケート…メールとハガキで集計。総票数:316票)

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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