“ラッパー”坂間兄弟が家康ゆかりの「平塚」を訪ね、自身のルーツとなる地名を発見!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
■社殿で祈りを捧げる「昇殿参拝の儀」に参加

社殿の最前列に座り、昇殿参拝の儀に臨む二人。
―宮司の宅野さんから嬉しいお誘いがあり、お言葉に甘えてD氏とコーヘイ氏は社殿に上がらせていただき、神様に近い神聖な場所で祈る「昇殿参拝(しょうでんさんぱい)の儀」を執り行っていただくことに。厳かな雰囲気の中で太鼓が鳴り、宅野さんのご息女である、宅野小雪さんによるお清めのお祓(はら)いを受けた後に、玉串を神前に奉納します。
権禰宜の金子和憲さん(以降「金子さん」):Mummy-D様、KOHEI JAPAN様、どうぞご起立ください。

御神前に進み、まずは二度の礼を行う。
―御神前に進んだ2人は、玉串を収めた後に、二度の礼、二度の柏手、さらにもう一度礼を行う作法で、拝礼を行いました。拝礼後には、宅野さんからこんなお話がありました。

拝礼後、宅野さんの話に真剣に耳を傾ける。
宅野さん:平塚は、長い歴史の中で地震や冨士山の大噴火などを経験してきました。太平洋戦争の際には、海軍の火薬工場があったために町が栄えましたが、空襲(一夜の焼夷弾の投下数としては、国内で2番目に多かったといわれる)の対象となるなど、町が無くなっては再興して、無くなっては再興してと、再興を繰り返した地でもあります。禍(わざわい)が無くなるということではなく、避けるのでもなく、無くなってしまった、滅んでしまった、躓いてしまった、そんな折にもう一度頑張ろうと背中を押していただくのが、平塚八幡宮の神様のお力だと思っております。そのお力をいただきながら、ますます皆様がご健勝にお過ごし、ご活躍になりますように。また、今日の取材が有意義なものになりますように、心よりお祈りを申し上げます。有難うございました。
D:今日は本当に有難うございました。すごく身が清められた気がする。引き締まる思いが……。
コーヘイ:宅野さん、小雪さん、金子さん、本当に有難うございました!

(右から)ともに権禰宜の金子和憲さん、宅野小雪さん、宮司の宅野順彦さん(撮影時だけマスクを外しています)。
―さて最後に、坂間兄弟と編集部一行は、清め(?)の酒を体に入れるべく、平塚駅前のネオン街へ。次回取材の糧とすべく、旨いアジフライに舌鼓を打ちました。
●次回は、3月13日(月)に配信します。
構成・文:織江賢治