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家康を支えた「ブレーン」とその変遷

学び直す「家康」⑧

■合戦、謀略、外交、内政などで多くのブレーンを登用

三河時代の拠点であった岡崎城
家康が三河を統治していた時代の岡崎城は。天守や石垣のない中世的な土の城であった。

 家康は、その生涯で必要に応じて様々なブレーン(軍師的存在)を重用した。弱小の戦国大名だった時代には、三河家臣団に支えられたが、三河統一後には東西(浜松城・岡崎城)に酒井忠次(さかいただつぐ)・石川数正(いしかわかずまさ/当初は叔父・石川家成)を置いて家臣団をまとめさせた。

 

 だが、家康自身の存在が大きくなり天下を視野に入れる頃には、それまでの「鑓一筋」の武功派に加えて、政治・行政・外交などに精通した頭脳派ブレーンが台頭する。そこには豪商・僧侶・儒者・技術者(経済官僚)・外国人まで幅広い層が加わってくる。

 

 政治面におけるブレーンの筆頭は、本多正信(まさのぶ)・正純(まさずみ)父子である。正信は下級の三河武士出身で一向一揆では一揆側に立ち、鎮定後は国を捨てて諸国を遍歴し元亀元年・姉川(あねがわ)合戦の折に帰参した。以後は家康の懐刀として、謀略などを含む政治的な諸問題を解決した。

 

 譜代の三河武士団からは嫌われたが、嫡男・正純ともども徳川将軍家の絶対的権威を確立するために尽くした。大御所(おおごしょ)・家康、将軍・秀忠という二元政治(前述)も正信・正純が軌道に乗せたのだった。

 

 異色のブレーンとしては、僧侶の南光坊天海(なんこうぼうてんかい/天台宗)・金地院祟伝(こんちいんすうでん/臨済宗)がいる。『徳川実記(とくがわじっき)』によれば天海は「常に(家康の)左右に侍して顧問に与り」とあるように家康の信頼第1の僧侶であった。

 

 祟伝は、外交文書・法律作り(武家諸法度/ぶけしょはっと・禁中並公家諸法度/きんちゅうならびぶけしょはっと・寺院諸法度)や政策決定にも参画して「黒衣(こくい)の宰相(さいしょう)」と呼ばれる存在であった。

 

 また財政面では、金座で小判鋳造に貢献した後藤庄三郎、豪商は浜松城時代からの京・大坂の商業と情報協力者であった茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)、富士川開削やベトナムなど海外貿易も行った角倉了以(すみのくらりょうい)がいた。儒学者・林羅山(はやしらざん)は、朱子学を徳川幕府の政治思想として導入して、その子孫まで「林家」と呼ばれて徳川幕府を思想面で支えた。

 

 家康が貿易経済面で外交顧問としたのは、イギリス人のウイリアム・アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンの2人であり、ヨーステンの名前は東京・八重洲として残る。

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