“ラッパー”坂間兄弟が家康ゆかりの「平塚」を訪ね、自身のルーツとなる地名を発見!【後編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
戦国の偉人ゆかりの地である、神奈川県の「平塚」を訪れたRHYMESTER(ライムスター)のMummy-D(マミー・ディー)と、実弟でMELLOW YELLOW(メローイエロー)のKOHEI JAPAN(コーヘイ・ジャパン)。自分たちの名字「坂間」のルーツである地名「根坂間」について学んだ、前編の平塚市博物館から移動して、今回は徳川家康が鷹狩(たかがり)の宿舎として利用していたとされる中原御殿跡や、北条政子ゆかりの平塚八幡宮を訪ねる。
■家康が鷹狩の際に宿泊した「中原御殿跡」へ

東海道五十三次の宿場町として栄えた、平塚宿(ひらつかじゅく)の江戸見附跡。左の方に写っているのが復元された見附で、見附は見張り場の役割を担っていた。
—坂間兄弟と、前回に引き続き案内役を務めてくれる平塚市博物館元館長・栗山雄揮さん、学芸担当長・川端清倫さん、編集部一行は中原御殿跡へ。
Mummy-D(以降「D」):石碑が立ってるから、中原御殿跡はこのあたりですかね?

中原御殿跡に立つ石碑。
平塚市博物館元館長・栗山雄揮さん(以降「栗山さん」):現在は、平塚市立中原小学校が建っています。中原御殿は、1596年(諸説あり)に徳川家康公によって建立され、面積は東西78間(141m)×南北56間(101m)のほぼ長方形。大火に見舞われた明暦3年(1657)に、江戸城に引き払われたと言われています。

石碑には御殿の由来が。別名「雲雀野御殿」(ひばりのごてん)ともいわれる。
KOHEI JAPAN(以降「コーヘイ」):実際に家康は、この中原御殿の付近で、鷹狩をしていたんですか?
栗山さん:中原御殿は天正18年(1590)に関東転封となった家康の、江戸と駿府の行き来の際の宿泊施設および鷹狩のための別荘というのが一般的な認識です。しかし、御殿が作られた慶長元年と言うのは、関ケ原の合戦前で、いつ秀吉に「謀反の疑いあり」と難癖をつけられて攻め込まれるか分からない状況で、鷹狩の宿などという呑気な目的だけで建てているはずはないんです。
コーヘイ:つまり、秀吉から攻められた場合、家康としてはなんとしてもこの地で食い止め、江戸まで攻められるのを避けたい。その作戦本部となるのが中原御殿だったと。
D:博物館で平塚宿のジオラマを見た時に、中原御殿は天然の要塞となるような場所に建てられているという話がありましたよね? 旧東海道から御殿を攻めるとすると、水田が足止めになるという。
栗山さん:家康側からすると、いざ敵が向かってきても足が水田でぬかるみ、少人数ずつしか来られない。しかもこの位置は、そこの四辻のとこから見ていただけると分かりますが、旧東海道のある海抜から比べると三段くらい高くなっていることが分かります。いざという時に、いかに地形を利用するか。家康はその算段のために、鷹狩と称して調査していたのではないかと考えられます。

石碑に併設された中原御殿跡の解説板。
コーヘイ:家康は調査で訪れる際には、中原街道を通ってきたんですか?
栗山さん:中原街道は川崎を通る道として有名ですが、本来はこの平塚の中原と江戸を結ぶ街道です。この道を通って家康公は中原御殿に向かったとされますが、もう一つの役割があったと考えられます。
D:つまり行動の自由を確保するためには、東海道だけでなく、内陸にも連絡道を整備する必要があったってことか。
栗山さん:秀吉が攻めてくるとすれば、水軍も連れて来ることが予想できます。となると、海沿いに走る東海道が遮断された場合に備えて、もうひとつの道が必要だったと考えられます。それが中原街道だったのです。
コーヘイ:実は軍事的な意味合いが強かったんですね。
栗山さん:実際には、中原街道は小田原北条氏の時代から整備されていたようですが、1600年の関ケ原合戦で雌雄を決する前までは、家康にとっては中原と江戸を最短距離で結ぶこの道の方が重要な街道だったと考えられそうです。東海道の宿駅制度は1601年に整えられましたが、海上交通との接点があり、物流の道であった東海道は、西の脅威がなくなった後だからこそ、幹線道路としての地位が確立しえたとも考えられます。
D:ちなみに、御殿の遺構はどこかにあるんですか?
平塚市博物館学芸担当長・川端清倫さん:中原御殿の裏門が、近くの善徳寺に山門として移設されているので、見てみましょう。

御殿跡近くの善徳寺に三門として移設された中原御殿の裏門。
D:これは立派な。
コウヘイ:塀に葵の御紋が!

三門から続く塀には徳川家の紋が用いられている。
栗山さん:奥の本堂にも、何か所か葵の御紋があしらわれているので、じっくり見るとおもしろいかもしれませんね。

反対側から見た三門。趣あふれる茅葺き屋根が目を引く。
—栗山さん、川端さんとはここでお別れして、一行は平塚八幡宮へ。