“ラッパー”坂間兄弟が家康ゆかりの「平塚」を訪ね、自身のルーツとなる地名を発見!【前編】
坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」
ヒップホップグループRHYMESTER(ライムスター)のMummy-D(マミー・ディー)と、実弟でMELLOW YELLOW(メローイエロー)のKOHEI JAPAN(コーヘイ・ジャパン)というラッパー兄弟が、各地の史跡を巡る連載がスタート。アーティストとして全国各地でライブを行ないながら、ご当地の史跡に足を運ぶ二人が選んだ最初の場所は、神奈川県の「平塚」。戦国の偉人ゆかりの地を訪れる途中で、意外にも自らの名字のルーツを知ることに……?
■家康・政子ゆかりの地を訪ねるべく平塚へ

平塚八幡宮前で撮影。この後、社殿に上がらせていただいて、昇殿参拝の儀を執り行っていただくことに(撮影時だけマスクを外しています)。
—電車の遅延も想定して、早めに待ち合わせの平塚駅に着いた編集部一行。平塚といえば『東海道五十三次』の7番目の宿場町。また、徳川家康の別荘である中原御殿(なかはらごてん)などが有名です。それら平塚の歴史・史跡を学ぶため、まずは駅から徒歩10分ほどの、平塚市博物館へ向かいます。
Mummy-D(以降「D」):おはようございます。連載1回目だから、どんなテンションで行くか難しいですね。とりあえず、ちょっと早めに着いたので、駅前の蕎麦屋に入ったらマネージャーのホッチが蕎麦すすってました(笑)。コーヘイは?
KOHEI JAPAN(以降「コーヘイ」):おはようございます。
D:うっす。じゃあ行こうか。
—駅から10分ぐらいなので、歩いて行きましょう。

駅前の商店街を歩く二人。
コーヘイ:商店街、懐かしい感じ。
D:いいよね。ここは参道だったのかな? 平塚は、北条政子が実朝を産む際に安産を祈願した平塚八幡宮が有名だけど、参道の様子も気になるな。

案内板をのぞく二人。
—「八幡大門通り」という名称で、平塚八幡宮(旧・八幡神社)への参道だったみたいです。

八幡大門通りの案内板。
D:商店街にまだ昭和の看板とか、佇まいが残ってるよね。
コーヘイ:確かに。

八幡大門通り。通りの向こうに平塚八幡宮の鳥居が見える。
—駅から北に徒歩10分ほど。旧東海道と現国道1号を横切り、市役所の裏手にまわると……平塚市博物館に着きました。出迎えてくれたのは、今回案内してくれる学芸担当長・川端清倫さんと館長の浜野達也さん。また、今回は特別に、元館長の栗山雄揮さんも同行してくれました。

博物館の入口にて(撮影時だけマスクを外しています)。

(右から)エントランスで出迎えてくれた元館長の栗山雄揮さん、現館長の浜野達也さん、学芸担当長・川端清倫さん。
—館内に入って、最初に二人の目に入ったのが、受付正面に並べられたトビラの数々。

ディー氏も扉の中身に興味津々。
川端さん:こちらは『博物館へようこそ』というコーナーで、トビラを開けると当博物館の収蔵物をガイダンス的に観ることができます。
コーヘイ:うおっ!
D:何があった?
コーヘイ:いや、開けたらいきなり人の頭がドアップで展示されてて。

扉の中に展示されている人形浄瑠璃の頭(かしら)。写真が若干ボケてしまい残念…。
川端さん:これは人形浄瑠璃の頭(かしら)で、弁慶の役などで使う頭部です。一つ目のトビラでいきなりこれが出てきたら、ビックリしますね(笑)。
D:おっ。この大きな屋敷の絵はもしかして、家康の中原御殿ですか?
川端さん:その通りです。中原御殿と徳川家康の由緒を伝える『中原御宮記』(なかはらおみやき)に描かれた、中原御殿跡の絵(複製)を展示しています。

『中原御宮記』に描かれた中原御殿跡の絵(複製)。
―さらに、他のトビラを開けて回ると、天体望遠鏡に用いられるレンズの元となる、ガラスブロックなどが展示されていました。次に、私たちが目にしたのは、「くらしと金目川」のコーナー。金目川は、神奈川県の西部から相模湾へと流れる湘南地域を代表する河川です。

相模川の水運の歴史についての史料写真を展示。関連の史料は、戦国時代から残っているという。

平塚市から相模湾への地形を復元した模型。モニター付属のボタンを押すと、相模川その他該当箇所の画像が表示される仕組みに。
川端さん:この金目川は、古代から中世、江戸時代、そして今まで水田に水を供給する反面、暴れ川としても有名で、徳川家康公が治水に関わっていました。『御所様堤』という名前の堤防があるのですが、家康公が洪水の被害を受けた百姓を不憫に思い、中原御殿造営と同じ年(1596年)に「金目村大堤ならびに川通り所々堤、御普請」と命じたのです。
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