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鎌倉幕府再興を志した北条時行の生存説と系譜の謎

「歴史人」こぼれ話・第30回

■高時をはじめ約870人もの北条一族が滅ぼされる

北条時行の父・高時は権力に溺れた遊興の人として記述が残る。新田義貞らの鎌倉攻めにより、鎌倉の腹切やぐらで多くの一族がともに自害している。「相模守北条高時」芳年武者旡類/都立中央図書館蔵

 北条時行(ほうじょうときゆき)という名を聞いたことがあるだろうか? 中世史に詳しい御仁はともあれ、一般的には、馴染みの薄い人物というべきかもしれない。鎌倉幕府の事実上の支配者であり、第14代執権であった北条氏得宗家当主・北条高時(ほうじょうたかとき)、その次男である。

 

 鎌倉幕府が足利尊氏(あしかがたかうじ)や新田義貞(にったよしさだ)らによって滅ぼされたのは、1333年のこと。高時をはじめ、総勢870人もの北条一族やその家臣たちが共に自害したといわれる。

 

 その敗戦の混乱に紛れて、幼い時行は家臣・諏訪一族に守られながら、鎌倉からの脱出に成功。その後、父を死に追いやった尊氏を仇とばかりに戦いを挑み続けていったのである。

 

 鎌倉へと攻め入ること3度。その都度、その奪取に成功したものの、いずれも短期間のうちに敗走させられている。それでもくじけることなく果敢に戦いに挑む姿は、週刊少年ジャンプに連載中の漫画『逃げ上手の若君』(松井優征氏・作)でもお馴染みゆえ、ご存知の方も多いのではないかと思う。

 

 昨今は本作を通じて、時行人気が急上昇。少年層を中心としながらも、時行の名が広く知られるようになってきたことは、喜ばしい限りである。あらためてその事績を振り返ってみれば、その一途な生き様に心打たれてしまうはずだ。

鎌倉攻めにあたり、稲村ヶ崎で太刀を海中に投じる新田義貞『椎園叢書』歌川国芳/都立中央図書館蔵

■時行が北条氏の残党を束ねて挙兵した中先代の乱

 

 鎌倉幕府崩壊から2年後の1335年、時行が北条氏の残党を束ねて挙兵。それが中先代(なかせんだい)の乱と呼ばれる鎌倉幕府再興を目指した大規模な反乱であった。

 

 ちなみに中先代とは、時行のこと。先代(北条氏)と後代(足利氏)の間で、一時的とはいえ鎌倉を支配したことから、そう呼ばれるようになったとか。存在感の大きさを物語る命名である。

 

 通説では、尊氏に戦いを挑み続けながらも、結局は目的を果たせず、1353年、鎌倉の龍口(神奈川県藤沢市)で捕らえられて処刑されたことになっている。鎌倉幕府が滅亡してから、ちょうど20年目のことであった。

 

 ただし、御多分に洩れず、これにも異説があるのだ。時行は、龍口から逃亡。伊勢国(三重県)に渡って、伊勢次郎と名を改めて暮らしたという。子の行氏をもうけ、時盛、行長、氏盛(うじもり)へと系譜をつなげていったとの説が、まことしやかに伝えられているのだ。

 

 この最後の氏盛とは、ご存知、戦国武将としてその名を馳せた北条早雲(ほうじょうそううん/伊勢宗瑞/いせそうずい)のことである。子・氏綱(うじつな)が北条氏を名乗ったことから、早雲が後北条氏の祖と見なされるようになったとも。

 

 早雲の出自が伊勢氏であることはほぼ間違いと思えるが、果たして時行と系譜が繋がるものかどうか?こればかりは、何とも怪しいとしか言いようがないが、早雲の出自が明確でない以上、断定することは避けておきたい。

 

 早雲が備中伊勢氏盛経(もりつね)を祖とすることが事実だったとしても、その系譜に記された人名と前述の系譜に記された人名が異なる。これをどう見なすのかも、大きな問題なのだ。

 

 また、時行は幕府滅亡後、しばらく音信が途絶え、所在がわからなくなっている。潜伏地として、伊那市高遠町(たかとおまち)の御所平や権現屋敷、大鹿村の桶谷などの名が取りざたされることもあるが、これもまた確かなことはわからない。系譜といい、逃避行といい、とかく謎めく話題が尽きない御仁なのである。

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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