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日本海軍「連合艦隊」初戦の豊島沖海戦は完勝だった?

今月の歴史人 Part.1


明治維新後、日本は欧米列強に追いつくべく、近代化を進めていた。軍事力においても早急な発展が求められ、そうした時世のなか、戦端が切れたのが日清戦争であった。戦争に備え急遽編制された「連合艦隊」。その初戦となったのが1894年7月15日の豊島沖海戦(ほうとうおきかいせん)だ。


 

■連合艦隊編成後の初戦は戦死者なしの完勝

防護巡洋艦(鋼鉄製艦)・吉野吉野型防護巡洋艦の1番艦で艦長は河原要一大佐、坪井航三海軍少将も乗船。日露戦争中に味方艦と衝突して沈没。国立国会図書館

防護巡洋艦(鋼鉄製艦)・吉野 吉野型防護巡洋艦の1番艦で艦長は河原要一大佐、坪井航三海軍少将も乗船。日露戦争中に味方艦と衝突して沈没。国立国会図書館蔵

  明治27年7月23日、連合艦隊は全力で朝鮮半島西岸へと出撃した。日本海軍は保有艦艇において清国海軍に劣り十分な成算を持ち得なかったが、軍令部は「我が艦隊の名誉を掲げよ」と信号を発し激励した。

 

 25日午前6時半、牙山泊地沖合安眠島付近で行動中の第1遊撃隊は、豊島方向に艦影2個を発見した。日本側は距離5000メートルで、これが清国海軍巡洋艦の済遠(さいえん)と砲艦の広乙(こうおつ)であることを認めた。この清国艦は牙山(がざん)へと陸兵を運ぶ輸送船を援護していたのである。牙山付近には平壌攻略を目指す日本軍が所在したが、これと対抗して清軍も兵力を増強している最中であった。

防護巡洋艦・浪速日本海軍初の防護巡洋艦で浪速型の1番艦。日露戦争でも活躍。艦長は東洋のネルソンと謳われた東郷平八郎大佐。国立国会図書館

防護巡洋艦・浪速 日本海軍初の防護巡洋艦で浪速型の1番艦。日露戦争でも活躍。艦長は東洋のネルソンと謳われた東郷平八郎大佐。国立国会図書館

 

 7時52分、距離3000メートルで済遠が発砲したのを確認、日本側も巡洋艦の吉野、秋津洲、浪速が応戦。日本側の発表はこうだが日清双方とも相手側が先に発砲したと主張し真偽はいまだ不明とされている。戦闘で発生した煙霧を利用して広乙は浪速に接近し衝角による攻撃を試みるも失敗、逆に日本側の射撃で大爆発を起こす。そして陸に向け逃げた後に海岸に擱座した。済遠は戦闘開始直後に逃走を開始、途中清国軍艦の操江と英国船と行き会い、その対処に日本側が追われた隙を突いて戦場から離脱した。

 

 この豊島沖海戦は日本側に沈没艦は無く、広乙を実質的に沈め操江を捕獲、英国船の高陞号を撃沈と日本側の圧勝であった。高陞号は清国側がチャーターして陸兵輸送中であったが、浪速の艦長東郷平八郎は英国船と知りつつ断固として撃沈した。

 

 このことは英国世論を激高させ国際問題となり、日本政府を憂慮させたが、東郷が英国人船長と乗員を救出したこと、英国側が国際法的に問題無しと認めたことで騒ぎは鎮静化し事なきを得ている。

 

 高陞号を沈め陸兵輸送を阻止したことは、清国側兵力を減らし日本陸軍を助けることとなった。

 

監修・文/瀬戸利春

『歴史人』9月号「連合艦隊の真実」より)

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