壇ノ浦の語り部である琵琶法師が「耳なし芳一」と呼ばれるようになった理由
鬼滅の戦史82
平家の怨霊に耳を切り取られたといわれる琵琶法師・耳なし芳一。壇ノ浦に沈んだ平家の恨みが怨霊と化して、芳一に祟ったという。それは本当なのだろうか?
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鎧を重ね着して、乳兄弟の平家長と手を携えて入水した平知盛。『源平盛衰記』/国文学研究資料館
壇ノ浦に沈んだ平家の物語
源義経軍に追い詰められて、壇ノ浦に沈んだ平家一門。安徳(あんとく)天皇を抱き寄せながら入水した二位尼(にいのあま/平清盛の正室)をはじめ、建礼門院(けんれいもんいん/安徳天皇の母)ら平家の女たちが次々と入水していったというその情景は、涙無くして見ることはできそうもない。
大将として指揮をとった平知盛(とももり/清盛の四男)さえ、鎧を重ね着して、乳兄弟の平家長と手を携えて入水したという。その際、「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い残して荒波へと飛び込んだこともまた、よく知られるところである。
午の刻(12時頃)に、源平両軍が衝突して始まった壇ノ浦の戦い。当初は、東へと流れる潮流に乗った平家軍が有利であったが、やがて潮流が反転(源範頼が待ち構える地へ押し流されたとの新説も)。阿波水軍の寝返りもあって、平家方の敗北が決定的となった。このあたりの動向は、かの『平家物語』が詳しい。
その平家物語も、実は作者が定かでない。一説によれば、信濃前司行長(しなのぜんじゆきなが/藤原行長とも)が生仏なる盲目の僧に教え、語り部として言い伝えさせたともいわれるが、真偽のほどは不明。ただ、その物語の伝承に大きな役割を果たしてきたのが、盲目の琵琶法師たちであったことは確かなようだ。
中でも、室町時代にその相互扶助組織としての当道座を開設した明石覚一(あかしかくいち)という名の検校(当道座の最高責任者)の存在が大きい。『平家物語』のスタンダード版ともいうべき覚一本をまとめたからである。
その語り部としての琵琶法師の中で、今日に至るまで最もよく名が知られている人物といえば、耳なし芳一だろう。もちろん芳一とは、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンが著した『怪談』の冒頭を飾る「耳なし芳一の話」に登場する主人公名で、実在したかどうかは不明。前述の明石覚一をモデルにして作り上げられたとの説もある。それでも、盲目の琵琶法師として、芳一以上に名の知れた人物は見当たりそうもないのだ。ここではしばし、芳一の動向について見ていくことにしよう。
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安徳天皇を祀る赤間神宮 撮影:藤井勝彦
耳を切り取られた琵琶法師の悲運は平家の報復
芳一のことを知る前に、まずは芳一ゆかりの地を訪ねておくことにしたい。壇ノ浦に沈んだ安徳天皇を祀るとして創建された、阿弥陀寺こと後の赤間神宮へ足を運ぶのがいい。境内には、安徳天皇とともに沈んだ平家一族の合祀墓とされる七盛塚があるが、その傍に、芳一を祀った芳一堂があるからだ。堂中には、まるで生きているかのような生々しさで彫り込まれた、琵琶を弾く芳一の木像が安置されている。
ではなぜ、この地に芳一が祀られているのか? 実はこの赤間神宮、前身である阿弥陀寺であった頃、芳一がこの寺に住んでいたと言い伝えられているからだ。それを知った上で、あらためて小泉八雲が記した「耳なし芳一の話」を見てみよう。

赤間神宮の前身・阿弥陀寺にいた芳一。『臥遊奇談』/国立国会図書館蔵
舞台はもちろん、前述の阿弥陀寺である。そこに住む琵琶法師・芳一が、壇ノ浦に沈んだ平家の怨霊たちに請われて、壇ノ浦の悲話を語るところから物語が始まる。
毎夜のように赤間が関の墓所(七盛塚のことか)へと出かける芳一。無数の鬼火が飛び交う中、芳一が取り憑かれたように壇ノ浦の悲話を、琵琶を奏でながら一心不乱に語り続けているのである。これを知った和尚が芳一の身を案じて引き戻し、怨霊から見えないようにと、芳一の身体中に般若心経を書き記したのだ。
前夜同様、芳一を迎えに平家の怨霊が再び訪れるが、怨霊には、琵琶が見えるだけで芳一の姿が見えない。それでも、耳だけが見えた。と、強引に耳をもぎ取って、立ち去ってしまったのだ。芳一は耳を引きちぎられて血だるまになって気を失ってしまったとか。
すでにお分かりのように、耳だけお経を記し忘れていたのだ。ともあれ、その後芳一の耳の傷も癒え、怨霊も現れることはなかったとして、物語の幕を閉じるのである。
平家一門の死に様があまりにも無残だったせいだろうか、怨霊となってこの世を彷徨っていると、誰もがそう信じていたのだろう。戦いに巻き込まれて死出の旅へと急きたてられた幼帝や女たち。その悲運を芳一の琵琶の弾き語りによって慰めてもらおうとしたのだから、むしろ健気というべきか。芳一が耳を切り取られたことは悲運とはいえ、それが怨霊となった平家側の精一杯の報復だったという気がしてならないのだ。