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最後まで生き残った頼朝の弟・阿野全成に降りかかる悲運とは?

鬼滅の戦史81


源頼朝の兄弟のうち、頼朝の死後まで生き残ったのが、阿野全成(あのぜんじょう)ただ一人であった。その彼の身の上に、頼朝の死後、暗雲が漂う。2代将軍・頼家に謀反を疑われて幽閉、ついには殺害されてしまうのだ。それは一体、どのような経緯によるものだったのだろうか?


生き残ったのは全成ただ一人

恰幅の良い阿野全成像 『義烈百人一首』緑亭川柳、玉蘭斎貞秀ら画/国文学研究資料館蔵

 源頼朝の兄弟といえば、おそらく、誰もが真っ先に義経のことを思い浮かべるに違いない。頼朝との涙の対面と、それに続く兄弟間の確執、そして兄による討伐など、劇的な展開が繰り広げられ、多くの人の心を揺さぶり続けたからに他ならない。

 

 しかし、実のところ、父・義朝には、少なくとも9人もの男子がいたことが知られている。長男・義平(よしひら/悪源太)と次男・朝長(ともなが)は、平治の乱の後、すぐに命を落とし、四男・義門(よしかど)や五男・希義(まれよし)も、頼朝の挙兵を前に、早々に亡くなっている。八男・義円(ぎえん)は、頼朝の挙兵には間に合ったものの、伯父・行家(ゆきいえ)の誘いに乗って、これまた早々に退所(墨俣川の戦いで戦死)。

 

 かろうじて六男の範頼(のりより)が頼朝の信を得たかのように思われたものの、結局、最後は頼朝に謀反を疑われて、修善寺に幽閉されてしまった。その後の動向は不明(殺害されたともいわれる)である。頼朝が亡くなって(1199年)以降も生き残ることができたのは、7男の全成ただ一人だったというのが、頼朝を取り巻く人間模様の哀しい顛末であった。

 

牛若の兄で幼名今若の頃の阿野全成 『源義経一代記』/国文学研究資料館蔵

頼朝挙兵に呼応して対面

 

 この全成は、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では新納慎也さんが演じているが、どことなく艶っぽい仕草が気になるところである。それは、歴史書に記された全成像と、かなりかけ離れた人物像だからだ。『平治物語』によれば、悪禅師(あくぜんじ)と呼ばれるほどのあらくれ者だったというから、むしろ弁慶を思わせるような豪傑だったのだろう。

 

 母は、平清盛さえ唸らせた絶世の美女・常盤御前(ときわごぜん)で、平治の乱の後、弟の乙若(義円)と牛若(義経)と共に逃れようとしたものの、結局捕らえられてしまった。それでも、清盛の計らいによって、出家することを条件として助命されたことが『吾妻鏡』に記されている。牛若が鞍馬寺に、乙若が園城寺に預けられたのに対し、今若(全成)が醍醐寺で出家したことが記録されている。

 

 その後、頼朝の挙兵に呼応し、寺を抜け出して下総国鷺沼(さぎぬま)で頼朝と対面。義経が黄瀬川(きせがわ/静岡県清水町)において頼朝と対面するよりも前の出来事であった。もちろん、頼朝が涙を流すほど喜んだことはいうまでもない。

 

 同様に、劇的な対面を果たした義経が、平家討伐戦において、あまりにも見事な成果を収め過ぎたせいで、かえって兄に危険視されて討たれてしまったのに対し、僧侶であった全成(御家人でもあった)は、その職性の故か、さして警戒されることもなく、頼朝に仕え続けたようだ。頼朝の妻・政子の妹・阿波局と結婚したことも、頼朝を安心させる好材料となったに違いない。

阿野全成を殺す八田知家は鎌倉殿の13人の一人。『前賢故実』:菊池容斎筆/国立国会図書館蔵蔵

斬られた首が阿野荘へひとっ飛び

 

 ところが、頼朝の死を境として、全成の身の上に暗雲が漂うようになる。2代目将軍となった頼家が、自らの乳母を務めた比企一族を重用し始めたからである。実朝の乳母となった阿波局(あわのつぼね)と、その夫・全成を、その背後勢力ともいえる北条氏共々、危険視し始めたからであった。全成が頼家を追い落として実朝を擁立することで、その後見人として勢力を拡大することもできたからだ。頼家はこれを恐れて、早々に全成を謀反人として捕らえ、常陸国へ流罪に処してしまった。そればかりか、宇都宮宗綱(うつのみやむねつな)の四男・八田知家(はったともいえ)に命じて、全成を殺害してしまったのだ。

 

 この全成の死の様相については、静岡県沼津市に気になる伝承が残されているので見ておきたい。その東井出にある大泉寺(全成が建立、全成と息子・時元の墓もある)の社伝によれば、下野国(現在の栃木県)で斬首された全成の首が、何と、一夜にして、遠く離れたこの地(全成の領地であった)にまで飛んできたというのだ。その首が、当地にあった首掛け松に引っ掛かったといわれている。その木はすでに枯れて見ることができないが、木があったとされるところに石碑が建てられている他、切り株の複製までもが残されている。 

 

 自らの領地である駿河国阿野荘へと、ひとっ飛びで帰っていった全成。それが妻子会いたさがためであったかどうかはわからないが、むしろ、そうあってほしい…と思ってしまうのだ。

荒くれぶりから悪禅師と呼ばれた阿野全成。『武家百人一首』玉蘭斎貞秀筆 国文学研究資料館蔵

 

 

 

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藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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