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十三人の宿老の人物像【前編】

北条氏の権力の拠り所はただひとつ「鎌倉殿御外戚」

北条義時
時政の次男。嫡男の宗時が石橋山の戦いで討ち死した後も父からは庶子扱いされていたが、そもそもは「江間」の姓を名乗っており、北条の分家だった可能性も指摘されている『星月夜顕晦録』国立国会図書館蔵

 鎌倉殿の「十三人合議制」を構成するメンバー(十三人衆)を紹介する。まずは北条氏と文士(文官)である。

 

①北条時政(武士/伊豆・駿河守護/62歳)

 

②北条(江間/えま)義時(武士/37歳)

 

 いうまでもなく、時政は北条政子の父、義時は政子の弟であり、頼朝・頼家の外戚(妻・母の一族)。加えて、義時は頼朝の「家子専一」(親衛隊長)。

 

 北条氏は伊豆国(伊豆半島)田方郡(たがたのこおり)北条を本拠地(苗字の地)とし、桓武平氏を称していた土豪的武士団であった。伊豆は東沿岸部の大族・伊東氏を除き大武士団がなく、中小武士団が割拠しており、北条氏もそのひとつであった。また、義時が称した江間の苗字は、北条の西隣の地名で、時政から割(さ)き与えられたものであろう。

 

 よって北条氏の発展は、ひとえに政子と頼朝の婚姻が要因であった。

 

 時政は頼朝の使者として文治元年(1185)11月から翌2年3月まで、約4カ月在京。朝廷と交渉していわゆる守護・地頭設置に成功し、都の治安維持でも活躍している。交渉を得意としたことは認められるが、治安活動は頼朝から付けられた御家人たちを指揮してのものである。

 

「家子専一」の義時にいたっては、源平合戦でも奥州合戦でも、戦場に行きながら目立った手柄を立ててはいない。これが、もともとが土豪であった北条氏の限界であり、頼朝時代の鎌倉幕府での存在基盤は、ただひとつ、「鎌倉殿御外戚」であった。

 

 したがって、頼朝から頼家への鎌倉殿交代は、北条氏にとっての危機の始まりであった。

 

③藤原(中原)親能(文士/京都守護/57歳)

 

④大江広元(文士/政所別当/52歳)

 

 親能の父は藤原某、広元の父は大江維光(これみつ)で、ふたりの母は中原広季(ひろすえ)の娘の姉妹。ふたりはともに外祖父・広季の養子となったらしい。長く中原を称していた。

 

 中原氏は下級官人の家だが、親能は相模国の武士・波多野経家(つねいえ)に養育され、流人時代の頼朝と知り合ったようである。頼朝挙兵の治承4年(1180)には京都にいたが、12月、「頼朝の長年の友人である」ことを理由に捕縛されかけて逃げ出し、鎌倉に来て頼朝に仕えた。相模で成長したためか、文士であるが、源平合戦でも奥州合戦でも武士的な活動もしている。一方で官人をしていた経験を持つためか、幕府と朝廷の仲介役である京都守護として長く在京し、「十三人合議制」への参加後も、在京生活は基本的に変化なかった。

 

 広元は兄の仲介によるものか、頼朝に仕え、元暦元年(1184)に幕府の行財政機関である公(く)文所(もんじょ)の別当となった。公文所が政所に昇格しても別当を続けたため、鎌倉で頼朝の側近にあった。「十三人合議制」への参加時も、初代政所別当として鎌倉にあった。

 

⑤三善康信(みよしやすのぶ)(文士/60歳)

 

 頼朝の乳母の妹の子で、流人時代の頼朝に月3度ずつ京都情勢を伝え続けていた。元暦元年4月14日に鎌倉に到着し、翌日に鶴岡八幡宮の回廊(かいろう/廊下)で頼朝と対面した。

 

 初対面の頼朝は康信を「とても優しくて落ち着いた人物だ」と評している。同年12月、頼朝邸の一画に設置された問注所(もんちゅうじょ)は、幕府の訴訟実務機関だが、康信はこの時、長官である執事に就任し、「十三人合議制」参加時も、そのままであった。

 

⑥藤原(二階堂)行政(ゆきまさ)(文士/生没年未詳)

 

 頼朝の母は尾張(現・愛知県)の熱田大宮司(あつたのだいぐうじ)・藤原季範(すえのり)の娘であり、季範の妹が行政の母である。元暦元年10月の公文所開設で寄人となり、後には公文所・政所の実質的副官である令(れい)に就任している。

 

 行政は頼朝に仕えた当時、主計寮(かずえのりょう)の三等官である主計允(かずえのじょう)であり、主計寮は朝廷の税収監査を職掌(しきしょう)とするので、幕府行財政の実務を担当する政所令は適任であった。

 

親能ゆかりの地・石山寺
京都の下級貴族だったが、頼朝に重用され朝廷とのパイプ役を務める。『石山寺縁起』によれば、 源平争乱の頃に山城国の叛乱を平定するため、同寺で戦勝祈願したと伝わる。

 

監修・文/細川重男

『歴史人』2月号「鎌倉殿と北条義時の真実」より)

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