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黒船来航の転換期に将軍位を継いだ13代将軍・徳川家定

「徳川15代将軍列伝 〜 江戸幕府を開いた家康から、最後の将軍・慶喜まで〜 第15回」


徳川幕府は約260年もの平穏を日本にもたらした。だが、ペリーの黒船来航からは、幕府も朝廷も混乱に巻き込まれていく。その時代の大きな節目に将軍を勤めたのが、第13代の徳川家定であった。家定はどういった経緯で将軍となり、どのような評判を得ていたのだろうか。


 

12代将軍・徳川家慶の子息の中で唯一夭折せずに存命

 

徳川家定

13代将軍・徳川家定

 

 徳川家定(いえさだ)の父で12代将軍・家慶(いえよし)も、その父親(11代・家斉)譲りの絶倫男であったらしい。家斉には敵わないまでも、死亡する1年前まで60歳の時までに、驚いたことに29人の子どもを作っている。

 

 だが家慶は父親とは違って、決して子福者とはいえなかった。29人の子どものほとんどが夭折しているからだ。子どものうち10歳以上まで生きたのは、4男・家定と、一橋家に養子に入った慶昌だけであり、その慶昌も僅か13歳で病没している。ゆえに、家慶の血筋は家定にしか残されなかったことになる。

 

 家定は、文政7年(1824)4月8日、家慶の7番目の子・4男として生まれた。幼名を政之助といい、母親・お美津の方は旗本・跡部正賢の娘である。家定は5歳で元服して、従二位権大納言となり、家祥(いえさき)と名乗った。18歳で関白・鷹司家から正室を迎えるが、25歳の時に死別し、間もなく関白・一条忠良の娘を娶る。だが、この2番目の正室も家定27歳の時に亡くなっている。このため、朝廷の関係者・公家などから徳川家に嫁入りすると死ぬ、とされた。

 

 家定も、もう正室を娶るつもりはなかったが、安政3年(1856)、33歳の時に3人目の正室を迎えることになる。相手は、薩摩藩・島津家の支族である島津忠剛の娘を、藩主・島津斉彬の養女(右大臣・近衛忠熈の養女分でもあった)とした敬子(すみこ)(後の天璋院・篤姫)である。

 

 家定は、嘉永6年(1853)6月22日、父・家慶が亡くなった後に13代将軍位を継ぎ名前を家定と改めた。30歳であった。その直前の6月3日、ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航し、幕府に対して開国を要求した。まさに家定の将軍位継承は、このペリー来航という日本史における画期的な事件とともに開始されたのであった。

 

 

「凡庸中の最も下等」とも言われるが、その真相は……⁉

 

徳川将軍家の墓所があり、家定も眠る東京都上野・寛永寺。

 

 家定は多病質であり、天然痘で顔全体にその跡が残っていたことから人に会うのを嫌がった。自然に陰気な性格が形成されたようである。後に「幕末の4賢公」の1人とされる越前藩主・松平慶永(よしなが)などは家定を「凡庸中の最も下等」と酷評して憚らなかったという。

 

 家定はその趣味に「サツマイモなどを煮、饅頭やカステラなどの菓子づくりが好き」とされるほど、幕臣や諸大名からひんしゅくを買う部分も持ち合わせていたらしい。

 

 しかし、家定の小姓を務め、後には勘定奉行・町奉行・外国奉行などを歴任する朝比奈昌広の手記に寄れば「家定様のことを暗愚の君などと言う人もいるが、文化・文政・天保の頃であれば、それほどの悪評も受けなかったろうが、今は異なっているから……諸大名中、薩摩・鍋島・越前・宇和島・土佐などの殿様は格別優れた方たちだからともかくとして、その他の大名には家定様にも劣る方々も多くいたはずである」と記している。つまり、今のような騒がしい時代ではなく平時であったなら、将軍職も普通に務まったであろう、ということであった。

 

監修・文/江宮隆之

歴史人電子新書『徳川15代将軍列伝』より

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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