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「茨城」「千葉」の地名にまつわる由来と歴史

今月の歴史人 Part8


今回は茨城・千葉の2県にある地名について、その由来を解説。地形や水運、有力氏族、名産物などバラエティに富んだ由来を紹介していく。


茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮の楼門。神宮の名称では「鹿島」だが、市名では他県との重複から「鹿嶋」とされた。

【茨城県】

「茨城県」の地名の変遷

茨城(いばらき)→国巣(くず)を滅ぼした「茨」が由来

 

『常陸国風土記』によると、昔、茨城郡の山中には「国巣」と呼ばれる土着民が穴の中で暮らしていた。彼らは時に村を襲い盗みを繰り返していたことから、黒坂命(くろさかのみこと)という武人が茨を仕掛けて追い込み滅ぼした。また「茨の城」を造ったことから「茨城郡」と呼ぶようになったという説話が由来とされる。

 

潮来(いたこ)⇒水戸黄門によって改称

 

古来「伊多久」「板久」とも書かれ、「いたく」と呼ばれていた。常陸の方言で潮を「いた」と読むことにならい、元禄11年(1698)に徳川光圀(とくがわみつくに)が「潮来」に改称した。

 

女化(おなばけ)⇒女に化けたキツネ

 

その昔、忠七という若者が猟師に狙われたキツネを不憫(ふびん)に思い、逃がした後、女に化けたキツネと幸せに暮らしたが、ある日尻尾を見つけられ、穴に隠れたという逸話が残っている。

 

鹿嶋(島・かしま)⇒地名の由来は鹿島神宮

 

常陸国一宮の鹿島神宮にちなむ古い地名。現在の鹿嶋市は平成7年(1995)に誕生したが、佐賀県にすでに「鹿島市」があったため、区別するために「嶋」が使用された。

 

常陸(ひたち)⇒「直通」(ひたみち)→「常陸」が有力

 

孝徳天皇の時代、この地は往来する道が湖や海の渡し場で隔てられておらず、郡や郷の境界が山から河へ、峰から谷へと続いていたので「直通」と呼ばれたという由来が有力だ。

 

水戸(みと)⇒海や湖水の入口の地名

 

古くはこの辺りまで湊が入り込んで いたと見られ、海や湖水の入口につけられる地名「水の戸」が用いられたのが由来。かつては海の入口として、「水戸」を「江戸」と呼んだとも。

 

 

【千葉県】

「千葉県」の地名の変遷

千葉(ちば)⇒下総国(しもうさのくに)の「千葉郡」が由来

 

「千葉」とは、たくさんの葉 が生い茂ったことを意味し、「千葉県」の名称はこの地一帯が下総国の「千葉郡」であったことによる。古来、千葉郡と呼ばれていたのは現在の千葉市、習志野市、八千代市などの地域で、中世には千葉常胤(つねたね)が石橋山の合戦に敗れた源頼朝を助け、鎌倉幕府樹立に大きく貢献した。

 

行行林(おどろばやし)⇒「おどろおどろしい」状態

 

江戸時代から「行行林村」とされていた。「オドロ」と「棘」、つまり「草木が乱れ茂っている状態」の意味で、古語の「おどろおどろし」につながる言葉である。

 

木下(きおろし)⇒木材を利根川に下ろす

 

木下は利根川を利用した舟運の根拠地。「木下」と書いて「きおろし」と読んだのは、この周辺で伐採された木材を利根川に下ろして、舟(千石船)で江戸方面に送ったということに由来している。

 

酒々井(しすい)⇒井戸から酒が湧いた伝承

 

昔、酒好きな父親のために、毎日酒を買いに出かけていた孝行息子がいた。ある時、お金が底をついたが、近くの井戸に酒が湧き、それを飲ませて親孝行したという伝承にちなむ。

 

蘇我(そが)⇒蘇我氏の娘が蘇った伝承

 

弟橘媛(おとたちばなひめ)が海神を鎮めるために入水した際、5人の姫も海に身を投じたとされ、そのうちの蘇我氏の娘が無事に浜にたどり着き「我蘇り」と叫んだという伝承がある。

 

匝瑳(そうさ)⇒良質な麻のとれる地

 

大化の改新以前は「狭布佐」と記され、「さ」は美しい、「布佐」は「総」であり、麻を意味する。つまり「美しく良質な麻のとれる土地」であったと推測される。

 

 

監修/谷川彰英

『歴史人』1月号「地名の歴史をたどる」より)

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