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「岩手」「秋田」「宮城」の地名にまつわる由来と歴史

今月の歴史人 Part4


日本には、世界でも有数の地名数が存在すると言われている。それだけの数の地名が生まれる背景には当然、長い歴史が存在した。今回は、岩手・秋田・宮城の3県にある地名について、その由来を解説していく。


秋田県田沢市の乳頭温泉郷にある、鶴の湯温泉。乳頭温泉郷の中でも最も古い歴史を持つ。

【岩手県】

 

岩手(いわて)⇒「岩出」から「岩手」に転訛

 

 岩手の地名の由来は間違いなく、東北きっての名峰・岩手山にあったと考えられる。東側には「焼走(やけはし)り溶岩流」が残っており、溶岩が流れ出るところから「岩出」となり、 後に「岩手」に転訛したとみられる。

 

 

相去(あいさり)⇒藩境を巡る駆け引きが由来

 

 寛永年間に、南部藩と伊達藩の領地の境目をはっきりさせようと、両藩藩主が申し合わせるが、書状の解釈で揉めて両者が「相去(あいさ)って」、地名が生まれたとされる。

 

 

吉里吉里(きりきり)⇒キリキリと軋む鳴き砂

 

 砂浜を歩くと「キリキリ」と軋む鳴き砂だったことが由来とされる。江戸期から塩鮭の産地として知られ、その中心となった前川善兵衛(まえかわぜんべえ)は「吉里吉里善兵衛」と呼ばれた。

 

 

不来方(こずかた)⇒鬼が再び「来ぬ」ように

 

 その昔、この地で悪さをしていた「羅刹」(らせつ)という鬼が三ツ石の神によって石に縛りつけられ、二度と悪さをしないという約束の証文として三ツ石に手形を押したのが由来と思われる。

 

 

雫石(しずくいし)⇒「滴石たんたん」が由来

 

 由来は、西根の雫石(しずくいし)神社境内の清水が銚子の形をした岩から垂れ落ちる様子を指す「滴石たんたん」によるとされる。中世には「滴石」と表記されたが、後に「雫石」に転訛した。

 

 

【秋田県】

 

秋田(あきた)⇒ルーツは蝦夷(えみし)征伐

 

 文献に「秋田」が最初に見られるのは『日本書紀』の斉明天皇4年(658)の条。阿倍比羅夫(あべのひらふ)が水軍を率い蝦夷を征伐した際、現在の秋田市周辺の「齶田(あぎた)の浦」に着いたとされ、「秋田」の由来とされる。

 

 

阿仁(あに)⇒大兄と小兄が由来

 

 天正19年(1591)の豊臣秀吉朱印状の「小阿 仁村」が史料としての初見。平安時代、米ガ沢、釜ガ沢の両域に高倉長者の嫡庶(ちゃくしょ)子がいて、大兄・小兄と称したのが由来か。

 

 

川反(かわばた)⇒「反対側」の川端が由来

 

 秋田市の中央を流れる旭川は久保田城(秋田城)のすぐ西側に位置し、武家地から見ると反対側にあることから「川反」になったという。江戸~明治末期までは川端ともいわれた。

 

 

五城目(ごじょうめ)⇒古くは「いそのめ」とも

 

 昔は「五十目」「五拾目」「五十野目」とも書き「いそのめ」とも読んだ。江戸期からは「ごじゅうめ」、明治29年(1896)に「五城目町(ごじょうめまち)」に統一された。

 

 

狙半内(さるはんない)⇒アイヌ語で「川の上流」

 

 狙半内の「内」はアイヌ語で「川」を意味し「、サル」は「葦原」を指す、あるいは「狭い」を意味する和語の可能性も。「ハ(パ)」は「上流」という意味だという。

 

 

【宮城県】

 

宮城(みやぎ)⇒「美也木」→「宮城郡」が由来

 

 塩竈(しおがま)神社などの「お宮」と、多賀城という「お城」があったことが「宮城」の由来と考えられる。また「仙台」は、伊達政宗が「千代城」に新城を築城した際、同じ音の「仙台城」と改めた。

 

 

愛子(あやし)⇒あやす→子愛→愛子

 

 子供を愛育することを「あやす」ということから「子愛」、漢字が逆転し「愛子」になったとされる。『安永風土記』によると この地の「子愛(こあやし)観音」から「愛子」になったとも。

 

 

鬼首(おにこうべ)⇒国司が戦った歴史が由来

 

 坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷首領の大武丸(おおたけまる)を斬ってその首が落ちたという伝説があるが、陸奥国国司藤原登任(なりとう)が「鬼切部」で俘囚安倍頼時(ふしゅうあべのよりとき)と戦った歴史にちなむとされる。

 

 

塩竈(しおがま)⇒製塩用の竈がルーツ

 

 古来より塩焼釜の上に海藻を揚げ、海水を注いで煮詰める「藻塩焼き」が有名で、その竈が数多く置かれていたことから地名として定着。製塩用の土器も確認されている。

 

 

閖上(ゆりあげ)⇒御神体がゆり上げられた

 

 古くは「淘上」「淘揚」とも書いた。伝説では熊野那智神社の御神体がこの浜にゆり上げられたといい、仙台藩4代藩主・伊達綱宗(だてつなむね)により「閖上」となった。

 

 

監修/谷川彰英

 

『歴史人』1月号「地名の歴史をたどる」より)

 

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