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聖徳太子にまつわる超人的な伝説はなぜ生まれたのか?

聖徳太子を学び直す

耳がよく聡明で、法隆寺を築き仏教を広め、推古女帝の摂政として活躍した人物──。
聖徳太子に関する一般的なイメージはすべて『日本書紀』の記述が元になっている。その記録の中には、常人の域を超えた数々の超人伝説があり、聖徳太子がいかに偉大な人物であったのかを物語るものがある。ここではその真意に迫り、深堀りして紹介したい。

 

超人伝説は、聖徳太子の正式名の由来を説明する創作だった!

 

聖徳太子生誕の地とされる奈良・明日香村にある橘寺。散策中の穴穂部間人皇女が厩戸で出産したのが聖徳太子(厩戸皇子)。「木造聖徳太子坐像」や、太子の生誕から薨去までを描いた「絹本著色太子絵伝」を所蔵する。

 

 推古天皇(女帝)の皇太子であり、摂政をつとめたとされる聖徳太子(実名は厩戸皇子)に超人伝説があることはあまりに有名である。養老4年(720)に成立した『日本書紀』によれば、太子は①その母が宮中の厩(うまや)の戸にあたった時に安産で生まれたとされ、②生まれながら言葉を話すことができ、聖人の智をもっており、③成人後は十人の訴えを聞き分け、④未来のことを予言できたとされる。それゆえ⑤父の用明(ようめい)天皇に寵愛され、幼少期は特別に上宮(かみつみや)とよばれる宮殿に住まわされたという。

 

『日本書紀』以前にすでにこのような伝説が出来上がっていたようだが、『日本書紀』よりも8年前に成った『古事記』には超人伝説はみられない。このような伝説はいったいどうして生まれたのであろうか。それは太子の名前に原因があるといってよい。彼の正式な名前は上宮厩戸豊聡耳太子(かみつみやのうまやとのとよとみみのみこ)といった。

 

「上宮」とは、太子が壮年以降に営んだ斑鳩宮(いかるがのみや)のことであり、これが太子のむすこの山背大兄王(やましろのおおえのみこ)に相続された後に上宮とよばれるようになった。斑鳩宮は実際には太子の父・用明の没後に造営されたものであるが、それが天皇となった用明に起源をもつことを主張しようとして⑤の伝説が生まれたのである。

 

 つぎに有名な「厩戸」であるが、この時代、皇子女の名前は彼らを養育した豪族のウジナ(豪族の本拠地である地名か、または豪族の世襲の職務を示す職名)に由来するのが一般的であった。ところが、厩戸というウジナの豪族も地名もみあたらないために、その名の由来を何とかして説明しようとして、①のような異常な誕生伝説が作り出されたわけである。近年では、厩戸とは舒明(じょめい)天皇も一時滞在した宮殿があった「厩坂(うまやさか)」に由来するのではないかとする説もあるが、はっきりしたことはわからない。

 

「豊聡耳」は「とよ・と・みみ」と分解が可能である。「とよ」は美称、「と」は未詳であるが、「みみ」は神やその威勢をあらわす「み」を重ねていったものであり、「と」も同様の語義だったとみられる。この「と」をあらわすのに「聡」の字をあてたために、生まれながら言葉を話し、聖人の智をそなえていたという太子の聡明さを語る②や④の伝説が生み出されることになった。

 

 また、「みみ」には本来の意味とは関係なく耳の字をあてたので、太子は特別に聴覚のすぐれた人だったに違いないとされた。こうして、十人の訴えを正確に聞き分けたという③の伝説が語られるようになったのである。以上のように、太子の超人伝説は、すべてその名前の由来を説明しようとして生み出されたということができる。

 

 

監修・文/遠山美都男

(歴史人電子版『大人の歴史学び直し』シリーズ「聖徳太子」より。リンクは以下から)

 

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過去記事

遠山美都男とおやまみつお

昭和32年(1957)、東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士後期課程中退。博士(史学)。著書に『聖徳太子の「謎」』(宝島社)、『日本書紀の虚構と史実』(洋泉社歴史新書y)など多数。

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