仁徳天皇陵、推古天皇陵etc.発掘が許されない「天皇陵」の内部とは?
かつては9割の天皇陵が盗掘に遭っていた
盗掘の記録が残る天皇陵。かつては9割が盗掘被害に遭っていた?~盗掘された天皇陵の記録~
神聖不可侵な天皇陵は長い歴史の中で「盗掘」によって、わずかながらその内部の様子を知れるケースがあった。今回は「盗掘」の記録と、その顛末を明かす。
推古天皇陵
【1060年頃盗掘】平安時代の歴史書『扶桑略記』に「康平3年6月2日、盗人が推古天皇の山陵墓を暴いた旨の言上があった」と記述があるが、被害詳細は不明である。
成務天皇陵
【1063年、1844年、1854年】1063年の盗掘は『扶桑略記』に記述があり、興福寺の僧たちによるもの。宝物を略奪されたが、犯人たちは捕まり、宝物は返却されたという。
天武・持統天皇陵
【1235年盗掘】盗掘の検分録『阿不幾乃山陵記』の記述には、石室内部の様子や棺、遺骨、副葬品の状況が詳しく記され、石室が2部屋に分かれ金銅製の扉であることなどが判明。
今城塚古墳
【1288年盗掘】「真の継体天皇陵」と見られる古墳。西園寺公衝の日記には「盗掘犯が捕まり、鍵などが押収された」とあり、内部の実況見分記録が残されたという。
垂仁天皇陵
【1849年盗掘】盗掘犯たちが1.8メートルほど掘ったところ、朽木と石棺のみが見つかったという。埋葬施設が竪穴式石室に長持形石棺であることが推定された。
仁徳天皇陵
【1872年に盗掘】堺県令(現在の知事に相当)税所篤が清掃の名を借りて意図的に盗掘を行った、とする説があり、このとき石室が発見され、甲冑やガラス皿が出土したという。
履中天皇陵
【1986年盗掘】昭和61年に考古学ファンの大学生がゴムボートで堀を渡り、前方部を掘り、埴輪などを持ち出した。「考古資料を手に入れたかった」という動機だった。
日葉酢媛陵
【1916年盗掘】12代景行天皇の母・日葉酢媛の陵墓。大正5年6月、5名の盗掘犯が勾玉、管玉、鍵など46点を盗み出した。犯人いわく、石棺外に金冠があったという。
監修・文/安本美典
(『歴史人』2021年6月号 「いまさら聞けない! 古代天皇と古墳の謎」より)