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大前田栄五郎 〜 佐渡の金山で役人の悪事を凝らしめた話が伝説化

江戸の世を沸かせた侠客の武勇譚と共助力・第8回

地方農民の賭博事情と博徒との接点

栄五郎が送られ、島抜けを果たしたとされる佐渡金山の入口

 仁手村の清五郎が賭場に殴りこんだため、殺傷事件が起こる。大前田栄五郎は草鞋(わらじ)をはき、姿をくらました。

 

 しばらく諸国を歩き回った後、文政元年(1818)の夏、栄五郎はまた事件を起こす。勢多郡新里村山上(群馬県桐生市新里町山上)で祭礼賭博が行われた時のことだ。

 

 当時、賭博がご法度だったのに、祭礼や縁日には寺社の境内で開帳される賭博は黙認された。近隣の農民たちは、大抵はカモにされるものだが、開帳されると聞くと、小金を懐に入れて賭博を楽しみにやってくる。

 

 博徒はそうした農民たちの懐を狙っていたのである。

 

 賭博が開帳される時には、親分たちが各地から集まってくる。

 

 ショバ代を取り、場所を割り当てる。これを「ショバ割り」というが、親分たちは誰もが客の集まりやすい場所で賭博を開きたいから、ショバ割りをめぐって争いは起きやすい。

 

 その日、栄五郎は揉め事が話し合いでは埒があかず、長ドスを抜いて久宮村(群馬県みどり市笠懸町久宮)の丈八という親分を斬殺してしまった。

 

 こうなると凶状持ちとして逃げ回るしかない。

 

 栄五郎はその場から行方をくらまし、結局は7年間も草鞋をはくことになった。その間の状況について、本人が記録していたわけではないし、栄五郎の行状を見聞した人々が語ったことに頼るしかない。

 

東海道諸国を流れ歩いたが関東取締出役に捕らえられ…

 

 第3回(侠客の武勇譚と共助力~岡っ引きに人の道を説き聞かせて追い返した忠治の“女”)の国定忠治の潜入劇でも説明したが、関東取締役は水戸家領を除く関八州の天領・私領を区別なく巡回し、治安の維持や犯罪、風俗の取り締まりなども行っていた。そのため国定忠治は、信州路や隠れやすい赤城周辺などに潜伏した。

 

 ところが後述するが大前田栄五郎の場合は東海道諸国を転々と流れ歩いたという。そして、関東取締出役に捕らえられ、佐渡金山へ人夫(にんぷ)として送り込まれた。

 

 その後、島抜けをし、村に帰ってきたというのである。

 

 また、栄五郎が佐渡金山で働いていた頃、下っ端の役人の悪事を知り、懲らしめたという話も伝えられている。しかし栄五郎が佐渡にいたという証拠はないし、大物の博徒なので、そのくらいのことはあったのではないかということにされた可能性もある。

土肥金山の金山人夫像

 

(次回に続く)

 

 

 

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中江克己なかえかつみ

北海道函館市生まれ。河出書房などの編集者を経て歴史作家に。著書は『大江戸〈奇人変人〉かわら版』(新潮文庫)、『忠臣蔵と元禄時代』(中公文庫)、『お江戸の意外なモノの値段』(PHP文庫)、『日本史の中の女性逸話事典』(東京堂出版)など多数。

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