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『国定忠治』の虚構化が進み大正時代の演劇界に大ヒット

江戸の世を沸かせた侠客の武勇譚と共助力・第5回

国定忠治を人気者にした沢田正二郎の演技

農民を救済行為が芝居では義侠として虚構化が進んだ国定忠治 『わしが国さ』伊藤金次郎著より/国立国会図書館蔵

 国治はこれまで書いてきたように、 江戸後期の典型的な博徒である。幕府から取締出役のきびしい追及をうけ、赤城山や信濃路などをにげまわって潜伏した。だが潜伏生活に疲れたのか、嘉永2年(1849)故郷へ戻った。

 

 しかし、脳溢血で倒れ、逮捕されてしまう。

 

 すぐ江戸送りとなり、その途中、上野国吾妻郡大戸村で磔(はりつけ)に処せられた。その年の1221日のことだった。

 

 当時の世相は不穏で、農民たちは天保の飢饉で苦しんでいたが、忠治はそうした農民を救済。そのため、芝居では義侠(ぎきょう)として取り上げられ、虚構化が進んだ。

 

 大正10年(1921)6月、国定忠治は 義侠として一躍人気者になる。それは新国劇の沢田正二郎が明治座で「国定忠治」に出演、大好評を博したからだった。

 

 沢田正二郎はこの年30歳。早稲田大学を卒業したあと、文芸協会の研究生を経て、芸術座の創立に参加。その後、大正6年(1917)に戦退し、数回気を結びした。 関西で人気に火がつき、大正8年(1919)には『月形半平太』と『定治」でヒットを飛ばした。

 

 速いテンポと激しい立ち回りで、剣劇というジャンルをつくりあげた。最初の東京公演では失敗だったが、大正10年(1921 )の上演では大当たり。

 

西欧の演劇理論に´チャンバラ´を盛り込んだ新国劇の沢田正二郎(1892~1929)『苦闘の跡』(柳蛙書房)より/国立図書館図書館蔵

  沢田正二郎のモットーは「演劇半歩主義」だが、それは歌舞伎と新劇の中間に位置する新しい大衆演劇の創造を目指していのだ。

 

 言い方を支えると、民衆と握手しながらも片足は民衆より半歩前にいくという立ち位置を占めたのである。その後も渋堂の公園劇場を拠点に、大衆のなかに多くのファンを増やしていったのだった。

 

(次回に続く)

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中江克己なかえかつみ

北海道函館市生まれ。河出書房などの編集者を経て歴史作家に。著書は『大江戸〈奇人変人〉かわら版』(新潮文庫)、『忠臣蔵と元禄時代』(中公文庫)、『お江戸の意外なモノの値段』(PHP文庫)、『日本史の中の女性逸話事典』(東京堂出版)など多数。

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