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侠客の武勇譚と共助力<第1回>商品経済の発展と警察力の低下の地に博徒・侠客あり

江戸の世を沸かせた侠客の武勇譚と共助力・第1回

傾奇者が旗本奴、町奴となり、忠治や次郎長ら登場

旗本奴の傾奇者で初代福山藩主・水野勝成の孫である水野成之は大小神祇組を束ねた。徒党を組み無頼をはたらき町奴・幡随院長兵衛(ばんずいいんちょうべえ)を殺害し、後に切腹となった。『極付幡随長兵衛』部分、豊原国周筆 都立中央図書館蔵

 国定忠治(忠次とも)や清水次郎長など、江戸期には多くの侠客(きょうかく)が登場した。

 

 この男たちは任侠の徒であり「強きをくじき弱きを助ける」ことをたてまえとしたが、多くは博徒や喧嘩を渡世に熱中する。 そのなかで彼らは親分子分の関係で結ばれてい

た。

 

 侠客は「男伊達(おとこだて=男を立てるの語呂が語源)」ともいわれるが、これは男としての面目を立てることを第一に考え行動したからだった。「強きをくじき弱きを助ける」というのも、そこから生じた哲学だ。したがって仁義を重んじ、身をすてても惜しまない、という態度を示した。

 

 侠客は江戸前期、江戸市中の侠客で、旗本奴(はたもとやっこ)にはじまる。旗本奴というのは、旗本のなかで不平を抱く連中だが、男伊達を生き方の手本とした。代表的な団体が6つあったことから六方(ろっぽう)組、白柄(しらつか)組、大小神祇組などの組をつくり、市中を横行した。

 

 同時期にできた町人の傾奇者・侠客を町奴(まちやっこ)と呼び、町奴は江戸市中の侠客で、旗本奴に対抗する存在だった。浪人や口入れ人たちの町人がなり、たびたび衝突した。

 

警察力を実はほとんど持たなかった旗本領と天領(幕府直轄地)

 

 江戸後期になると、上州(群馬県)や甲州(山梨県)では多くの侠客が現れた。

 

 その背景にあるのは、繭や生糸、煙草など商品作物が盛んにつくられ、農民たちに経済的な余裕が生じてきたことがあげられよう。現金収入が農民たちを賭場に誘い、同時に博徒の収入が増え、勢力が拡大していった。

 

 しかも博徒が活躍したのは、天領(幕府直轄地とか)や旗本領だった。そこには警察力がほとんどない。したがって旗本領で罪を犯しても別の旗本領に逃げ込むと、逮捕されずにすむ。こうして凶状持ちが多くなっていった。

 

 幕府は関八州の取締まりを強化するため、文化2年(1805)関東取締出役(しゅつやく)を設置。

 

 「泣く子も黙る八州廻り」といって恐れられた。

天保13年、老中・水野忠邦が将軍徳川家慶による日光参詣を67年ぶりに企図し警戒を強化。8月に忠治は道案内(目明し)の三室勘助・太良吉親子を殺害し、中山誠一郎ら関東取締出役は忠治一家の一斉手配を行った。『赤坂松並木飛脚殺の場』豊原国周筆 都立中央図書館蔵

(次回に続く)

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中江克己なかえかつみ

北海道函館市生まれ。河出書房などの編集者を経て歴史作家に。著書は『大江戸〈奇人変人〉かわら版』(新潮文庫)、『忠臣蔵と元禄時代』(中公文庫)、『お江戸の意外なモノの値段』(PHP文庫)、『日本史の中の女性逸話事典』(東京堂出版)など多数。

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