男色専門の男娼「陰間」のお仕事 第3回~出身地で決まる陰間の格~
江戸の性職業 #020
■陰間の「高級」と「野卑」の分かれ目とは?

図1『江戸男色細見』、国会図書館蔵
図1は、陰間が若い者に先導されて、料理屋に向かう所である。前回の記事の哥菊と千代菊も、このようないでたちだったに違いない。
陰間は幼いころ、貧しい親に売られ、陰間茶屋に連れられてきた者が多かった。事実上の人身売買であり、実態は遊女と同じだった。
また、陰間の世界では、関東出身は野卑であるとして、上方から下ってきた少年が高級とされた。
そのため、実際は関東出身でも、「下り」や「新下り」と称して売り出すのが通例だった。
前回、参照した春本『天野浮橋』では、料理屋の女将が、千代菊を「下り子」と称していた。要するに、上方出身だといって推薦していることになろう。
同じく、『天野浮橋』に、陰間の哥菊が、客で住職の学心に嘆く場面がある。わかりやすくするため、一部書き直した。
「遊女は馴染みになると、請け出して一生、夫婦になる。陰間は年を取ると、おちんこも大きくなり、毛が生えて、尻が痛くなる。わずか四、五年の間。先を考えてみれば心細いもので、親や親類は上方にて、十三の歳、別れ、下りしより音も便りもなし。年明けても国へは帰られず、西を見ても東を見ても他人の中」
哥菊も上方の生まれで、十三歳の時に売られ、江戸に連れてこられようだ。
ただし、遊女の身の上話があてにならないのと同じで、陰間の身の上話も必ずしも信用はできない。
もしかしたら、哥菊も実際は関東出身かもしれなかった。
陰間と客の男の性行為を描いた春画は少なくないが、そうした春画の書入れの陰間のセリフを読むと、奇妙な上方弁をしゃべっている。
つまり、絵師は暗に、
「この陰間が上方からの下りというのは嘘で、本当は関東出身なのですよ」
と、皮肉っていることになろう。
関東出身の陰間が、上方出身を自称しているのは、当時の常識だったことがわかる。

図2『絵本吾妻抉』(北尾重政、寛政9年)、国会図書館蔵
図2は、芳町の料理屋。
階段にいるのが、呼ばれてきた陰間で、二階座敷の客の元に向かうところである。
荷物をかついでいるのは、陰間茶屋の若い者であろう。
台所では、宴席に出す料理の用意をしている。
(続く)