男色専門の男娼「陰間」のお仕事 第1回~江戸の街に散在した陰間茶屋~
江戸の性職業 #018
■当時としても高額だった「陰間」の揚代

図1『艶本葉男婦舞喜』(喜多川歌麿、享和2年)
陰間は、男色専門の男娼である。男の相手をする、男のセックスワーカーといってもよかろう。
陰間を置いているのが、陰間茶屋である。
江戸時代の中期ごろまで、陰間茶屋は各地に散在していたが、後期になると、芝神明(現在の港区の芝大神宮)の門前、湯島天神の門前、芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)に集まった。
芝神明門前、湯島天神門前、芳町は、江戸の三大男色地帯といえよう。
図1は、芳町の陰間である。
画中に「芳潮の若衆」とあるが、芳潮は芳町のこと。
また、若衆(わかしゅ)には多様な意味があり、一般に美少年のことだが、陰間を意味することもある。また、男色の相手をそう呼ぶこともあった。
ともあれ、図1は享和(1801~04)ころの芳町の陰間の風俗と見てよいであろう。
ところで、陰間茶屋は陰間を置いているだけで、客はあげなかった。
陰間と遊びたい客は、いったん料理屋にあがり、女中などに頼んで陰間茶屋から陰間を呼び寄せた。
床入りするのは、料理屋の奥座敷である。いわば、デリヘル(デリバリーヘルス)方式だった。
陰間茶屋は、管理事務所兼陰間の独身寮といえよう。
客にしてみれば、料理屋で酒や料理を楽しんだあと、奥座敷の寝床で陰間と享楽できたわけだが、当然、負担は大きくなった。
そもそも、陰間の揚代(料金)は、一般的な遊女よりも高かった。戯作『真女意題』(禰宜天竺唐人著、安永十年)に、
「陰間は女郎より南鐐一ッ片高い」
という意味のことが書かれている。
陰間の方が遊女より、南鐐(なんりょう)二朱銀のぶんだけ高い、という意味である。
『男色細見 三の朝』(平賀源内著、明和五年)によると、芳町では昼四切、夜四切にして、つまり昼間を四等分、夜間を四等分して、一ト切(約三時間)が金百疋(金一分)だった。
金一分の揚代に、酒食の代金と座敷代が加算されるのだから、かなり高くついた。
戯作『東海道中膝栗毛』(十返舎一九著、文化六年)に、こんな場面がある。
小田原の宿屋で、喜多八が五右衛門風呂の釜を踏み抜いてしまい、詫びとして金二朱を払う羽目になった。
しょんぼりしている喜多八に、弥次郎兵衛がこうなぐさめる――
「釜を抜いて二朱では安い。芳町に行ってみや、そんなこっちゃねえ」
「釜」には、肛門の意味があった。転じて、男色も意味した。
また、「釜を抜く」は、肛門性交を意味した。
たしかに、芳町の陰間の揚代は金一分(四朱に相当)だがら、二朱ではやすい。
とはいえ、下品な冗談である。
では、なぜ陰間の方が遊女よりも揚代が高かったのであろうか。
(続く)