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江戸時代の尼「比丘尼」というお仕事 第2回~比丘尼の終焉~

江戸の性職業 #013

■比丘尼の終焉

『盲文画話』

図4『盲文画話』、国立国会図書館蔵

『宝永年間諸覚』の宝永三年(1706)の項に、

 

・五月 江戸を徘徊する浮世比丘尼がしだいに衣装も派手になったので、近く禁止になるであろう。
・六月 比丘尼の中宿が禁止になった。

 

 という意味の記述がある。浮世比丘尼はセックスワーカーの比丘尼であろう。

 中宿(なかやど)は比丘尼の仕事場所なので、中宿禁止は事実上の比丘尼禁止にひとしい。

 

 図4は、「太夫比丘尼のてい」とある。

 太夫は、吉原の最高の遊女の称号である。

 その太夫の称号を、比丘尼が用いていたことになろう。

 太夫と称する比丘尼が、供を従えて歩いているところである。まさに、吉原の太夫並みと言ってよい。

 いや、公許の遊廓である吉原を、ないがしろにするものといえよう。

 

 たしかに、こんな格好で町中を歩いていては目立つ。

『宝永年間諸覚』に、近く比丘尼が禁止になるであろうと記していたのは、まさに図3のような状況を、幕府の役人も苦々しく感じたからに違いない。

比丘尼は目立ち過ぎたのである。

 

『飛鳥川』(柴村源左衛門著、文化7年)に、比丘尼について――

 

 昔、八貫町、いづみ町に売比丘尼有り、須田町、安宅辺にも多くあり。

 

――とあり、売比丘尼はセックスワーカーとしての比丘尼であろう。

 

 また、『塵塚談』(小川顕道著、文化11年)に、「勧進比丘尼、売女比丘尼の事」として、次のような内容の記述がある。

 

 私が子供の頃、若い比丘尼が門の前に立ち、びんざさらという竹製の楽器を鳴らし、歌を唄った。連れている子供の比丘尼が柄杓を手にしていて、それで米や金をもらった。

 いっぽう、売女比丘尼は芝八官町、神田横大工町に住み、美しい着物を着て売春をしていた。
低級な比丘尼になると、浅草田原町、浅草三島門前、新大橋の川端などの家が、二、三人を置いて、売春をしていた。

 しかし、いまは売女比丘尼も低級な比丘尼も絶えた。

 

『飛鳥川』や『塵塚談』の記述からすると、文化年間(1804~1818)までに、セックスワーカーとしての比丘尼はいなくなったようだ。

 

 比丘尼の全盛は、元禄(1688~1704)期から宝永の初めころまでだった。その後も、各地に出没したようだが、文化年間までに絶えたといえよう。

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過去記事

永井 義男ながい よしお

1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。

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