江戸時代の立ちんぼ 「夜鷹」というお仕事 第5回~たまには布団の上で~
江戸の性職業 #011
■たまには布団の上で
風聞を収集した『藤岡屋日記』(藤岡屋由蔵編)に、次のような話がある。
浅草橋場町に搗米屋があり、住み込みで働く米搗き男はかねてから御厩(おんまや)河岸に出ている夜鷹と馴染んでいた。
嘉永四年(1851)五月なかばのこと。たまたま、主人をはじめ、店の二階で相部屋をしている朋輩の奉公人まで、みな外出することになり、米搗き男はひとりで留守番を頼まれた。
夜がふけると、男は御厩河岸に出かけて行き、夜鷹をさそった。
「今夜は店に俺ひとりだ。いつも道端の茣蓙の上では味気ない。どうだ、たまには畳の上でしっぽり濡れようではないか。泊まっていくがよい」
馴染みの客であることから、夜鷹もすぐに承知して、妓夫に掛け合った。
「うむ、たまには、よかろうぜ」
妓夫も認めた。
そこで、米搗き男は夜鷹を店の二階に連れ込み、大いに楽しんだ。疲れから、熟睡する。
ハッと気づくと、すでに夜が明け、主人も店に戻った様子である。
男はあわて、
「いま、下におりては、旦那さまにばれてしまう。ここに隠れていてくれ」
と、夜鷹を押入れのなかにひそませた。
朝食のとき、自分の飯の一部を握り飯にして、そっと二階にあがり、
「これを食うがいい。俺が昼間、たびたび二階にあがっていると妙に思われる。昼飯と夕飯は持ってきてやるから、
階段をのぼってくる音を聞けば、廊下から手だけ出してくれ。握り飯を渡す」
と言い置き、米搗きの仕事に戻った。
昼飯のときも、そっと階段の途中から握り飯を受け渡した。
こうして昼過ぎまで二階の押入れに隠れていたが、夜鷹はしだいに尿意が耐えがたくなってきた。かといって、階下の便所にはいけない。
なにかよい方法はないものかと部屋をさがしていると、銭を入れる竹製の銭筒があった。
夜鷹はその竹筒をあて、なかに小便を注ぎ込んだ。
ところが、ずっと我慢していたため、たまりきっている。とても竹筒におさまりきれない。
竹筒からあふれた小水が畳を濡らし、さらに階下にまでポタポタと落ちた。
ちょうど階下の台所にいた女房が、天井からたれる水滴に気づいた。
「おや、なんだい。この臭い水は。まさか、ネズミの小便じゃあるまいね」
女房が二階の様子をうかがいに来た。
足音が階段をのぼってくるのを聞いて、夜鷹はてっきり夕食の握り飯だと思った。ぬっと、手だけ出す。
それを見て、女房は驚き、「わっ」と叫ぶや、階段の途中から足を踏みはずして転落し、気絶してしまった。
おもしろい話である。夜鷹は、図7のような風俗だったかもしれない。
ただし、本材木町あたりの呉服屋の息子が女を自宅に引き入れたところ、外出していた両親が帰ってきたため、やむをえず女を樽のなかに隠し、小便騒ぎになったなど、同工異曲の話がある。
事実と言うよりは、一種の都市伝説であろう。
できれば屋内で、布団の上でしたいという、男の願望の反映かもしれない。