江戸時代の妾「囲者」というお仕事 第2回~大名の妾~
江戸の性職業 #015
庶民の娘から大名の母親への大出世

図1『絵本開中鏡』(歌川豊国、文政6年)、国際日本文化研究センター蔵
大名が、町娘など、庶民の女の中から妾を求めることは少なくなかった。
図1は、春本『絵本開中鏡』(歌川豊国、文政6年)の中の絵で、画中に「御中奥御妾目見之図」とある。殿さまが、簾(みす)越しに、妾候補の女の見分をしているところである。そばにいる女は、奥女中たちである。
彼らの視線の先が、図2である。

図2『絵本開中鏡』(歌川豊国、文政6年)、国際日本文化研究センター蔵
図2で、恥ずかしそうにしている女が、妾候補の町娘。
そばの高齢の女は、「老女」と呼ばれる最高位の奥女中。
ふたりの遣り取りは、
老「いくつえ」
娘「十七でござります」
老「よし、よし」
という具合である。
背後に琴と三味線があるので、どちらか、あるいは両方の実技試験もおこなわれたのであろう。
このあと、娘は妾に採用されたのはいいが、殿さまが房事に熱中し、ついには腎虚(じんきょ)になるという、春本らしいオチになっている。
しかし、大名が庶民の女の中から妾を求めるのは、けっして春本の誇張でも虚構でもなかった。
『根南志具佐』(平賀源内著、宝暦13年)に、大名に妾を取り持つ男、いわば仲人が登場する。
仲人が、娘の両親に向かって言う。
「お娘は、いよいよやらしゃるつもりに相談はきまりましたか。一昨日も言う通り、向こうは国家のお大名、お妾の器量えらみ、中背で鼻筋の通った……(中略)……支度金は八十両、世話賃を二割引いても、八八、六十四、五両の手取り、もし若殿でも、産んでみやしゃれ、こなた衆は国取のじいさま、ばあさまなれば、十人扶持や二十人扶持は、棚に置いた物取るよりはやすいこと。いよいよ、やらしゃる合点か」
もちろん、夫婦は娘を妾に出すのを快諾する。
大名家から娘の親に支度金として八十両が渡される。仲人が手数料として二割引くので、親元に渡るのは六十四両。
娘はあくまで大名の妾だが、もし子供を産むと、しかも男の子を産むと、たちまち側室となる。
というのは、大名家では(将軍家も同じだが)、正室が子供を産むことはほとんどなかった。そのため、側室が男の子を産めば、その子が将来、次の藩主になる可能性は大きかった。
その場合、庶民の娘は、大名の実母になる。大出世だった。
また、娘の両親は、大名の実の祖父母になる。とはいえ、藩主の実の祖父母が庶民で、裏長屋などに住んでいては世間体が悪いので、大名家は二十人扶持くらいの家禄をあたえ、体裁をととのえさせたのだ。
これも、大出世だった。
大名の妾は、『江戸繁昌記』の囲者の上・中・下でいえば「上」、いや「極上」と言ってよかろう。
(続く)