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男色専門の男娼「陰間」のお仕事 第4回~陰間茶屋に売られた少年たちの悲哀~

江戸の性職業 #021

■待っているのは厳しい研修と短い稼働年月

図1『坂東太郎強盗譚』(式亭三馬著、文政8年)、国立国会図書館蔵

 図1は、父親が病気で困窮したため、治郎吉という息子が陰間に売られていくときの情景である。

 

 駕籠のそばで涙をぬぐっているのは、世話をした名主。

 

 母親は息子にこう言い聞かせている――

 

「これこれ、治郎吉よ、人に人鬼はないとは言えど、きびしい折檻にあわぬよう、随分、おとなしゅうしやれよ」

 

 娘が遊女に売られていくときの愁嘆場と同じといってよい。

 

 さて、こうして陰間茶屋に売られた少年にとって、陰間になるための大事な研修のひとつが、肛門の訓練である。

図2『艶道日夜女宝記』(月岡雪鼎、明和年間)、国際日本文化研究センター蔵

 図2は春本『艶道日夜女宝記』(明和年間)からで、画題に「衆道仕入の図」とある。衆道は男色のこと。

 

 つまり、陰間茶屋の主人が、あらたに仕入れた十二、三歳の少年に、衆道を仕込んでいるところである。

 

 同書に書かれている内容を現代語訳し、整理して次に示そう。

 

 右手の指の爪をよく切っておいてから、最初の夜は、油薬などを塗ってすべりをよくした小指を、男の子の肛門に挿し込む。スッとはいるようなら、翌日か翌々日、今度は薬指を挿し込み、抜き差しを繰り返す。

 

 一日置いてから、三度目は人差し指を挿し込む。

 

 次の日は、中指を入れてみて、さらには親指を押し込み、よく慣れさせる。

 その後、人差し指と中指の二本を合わせて挿し込み、抜き差ししてから、いよいよ陰茎を挿入するようにする。

 

 こうすれば、自然と肛門を拡張して、どんな陰茎でも受け入れられるようになる――と。

 

 けっして無理をせず、日数をかけて順応させているのがわかる。時間をかけて育てていると言ってもよかろう。

 

 しかも、最後は「尻によりて早いおそい有也」と注意し、個人差に配慮するよう求めている。

 

 とはいえ、これは決して人道主義からではない。陰間茶屋の主人が少年を大事にしたのは、要するに金を払って仕入れた商品だったからである。

 

 さて、こうして陰間に育てても、その盛りは短かった。

 

 二十歳を過ぎると陰間として通用しなくなるので、転業して堅気の商人になる者もいたが、ごくまれである。

 

 たいていは、幇間(ほうかん)などの芸人や、女の相手をする男妾になった。男妾は、いわば売春夫である。

 

 陰間から男妾になっても、セックスワーカーという点では変わりはない。

 

 また、男妾はしばしば春画の題材になっているが、実際には「上客」をつかまえた男妾は少なかったろう。

 

 というのも、当時の女性は経済力がなかったからである。

 

 金を自由に使えたのは、せいぜい裕福な町人の後家か、一部の奥女中くらいだった。

(続く)

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過去記事

永井 義男ながい よしお

1997年『算学奇人伝』で開高健賞受賞。時代小説のほか、江戸文化に関する評論も数多い。著書に『江戸の糞尿学』(作品社)、図説吉原事典(朝日新聞出版)、江戸の性語辞典(朝日新聞出版)など。

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