現存する名古屋城の3大櫓に迫る! ─400年の時を越え残った日本最大級の遺宝─
名古屋の歴史と文化を 訪ねる旅⑧
戦災により焼失してしまった名古屋城本丸。だがしかし、火の手を逃れ、今に築城当時の姿を残す3つの櫓が名古屋城には現存する。重要文化財指定を受ける優美な櫓たちに迫る。
■B-29の爆撃で焼失した天守 戦災を免れた櫓や門は重文に

西北隅櫓外観3層3階建て。清洲城の天守あるいは小天守を移築したものとの伝承され、元和5年(1619)の完成。3層櫓としては日本最大級の大きさを誇る。写真/アフロ

【名古屋城地図】大きく分けて4区画に分かれている名古屋城。本丸を中心に、二之丸区域には広大で優美な庭園が広がっている。
徳川家康(とくがわいえやす)によって築城された名古屋城は、幕末までその威容を誇った。維新後には陸軍の拠点となり、城内の建物はすべて取り壊されることになった。しかし、ドイツのフォン・ブラント公使や陸軍の中村重遠(なかむらしげとお)大佐が歴史的価値を訴えたため、主要な建造物は残されることとなった。
本丸では、御殿の一部が改造されたものの、天守や櫓・門は保存。二之丸では、御殿と4基の櫓が取り壊され、三之丸の建造物は撤去された。明治24年(1891)の濃尾地震により本丸の一部に被害があったものの、主要な建造物は残り、昭和5年(1930)、国宝保存法に基づく国宝に指定された。ところが、昭和20年、アメリカ軍のB-29による爆撃により、大小天守や御殿を含む櫓や門が焼失。幸いにも焼失を免れた櫓や門は、文化財保護法に基づく重要文化財に指定された。昭和34 年には大・小天守が再建され、平成30 年には本丸御殿が木造で復元されている。

西南隅櫓古くは未申(ひつじさる)隅櫓と呼ばれた。慶長17年頃完成とされ、外観2層3階建て。破風(はふ)の下に石落しが設けられている。写真/岡 泰行

東南隅櫓古くは辰巳(たつみ)隅櫓と呼ばれた。西南隅櫓と同規模。屋根大棟の鯱は明治43年に江戸城から移したものである。写真/岡 泰行