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信濃の土豪から智謀と策略で戦国を勝ち残り明治維新まで生き残った家系「真田家」の歴史とは⁉─策士・真田昌幸、猛将・真田幸村など─【戦国武将のルーツをたどる】

戦国武将のルーツを辿る【第6回】


日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国時代にその知略と勇猛ぶりで生き抜いた「真田家」の起源と歴史をたどる。


 

真田家が戦国時代に本拠とした「上田城」と真田家を象徴する「六文銭」ののぼり。

 

 戦国時代「日本では類のない勇士。不思議なる弓取りなり」「真田、日本一の弓取り」などと伝えられた真田家は、不思議な祖先伝説に包まれている。

 

 真田家は、その先祖を「滋野(しげの)氏」に求められる。滋野氏は、土着した国司の子孫だといわれるが詳細は不明であり、しかし代々の信濃守護に滋野姓を見ることもできる。この滋野氏がいくつかの家に分派していく過程で,海野(うんの)・禰津(ねづ)・望月(もちづき)の「滋野三家」が特に有名になった。室町時代の後期、このうちの海野氏から真田氏が分流した。

 

 滋野氏の先祖については、こんな話が伝わっている。

 

 平安時代の清和天皇(858~875)の皇子に貞保(さだもち)親王(一説には「貞秀親王」ともいわれる)という人物がいた。この皇子は音楽の名人で、自らを「南宮管弦師」と称したほどであった。ある日、宮中で管弦の宴があった。親王も名手としての琵琶を披露していた。すると、あたかもその琵琶の音色に惹かれるかのように1羽の燕が殿中に飛び込んできた。聞き入る公卿たちは「燕までもが」か、と溜め息をついた。親王はふと宙空を仰いだ。あおの瞬間、燕が感極まって糞を洩らした。運悪く燕の糞が親王の目に入ってしまった。その瞬間、視力を失った親王は気丈にも演奏を終えて、名医の診察を受けた。だが効果はなく、目の痛みと視力の喪失はそのままであった。

 

 ここに信濃国が登場する。それは、信濃にある浅間山温泉(実際は群馬県・鹿沢温泉のこと)が目に効用があるという奏上があって、早々に信濃に下った親王は湯治に努めた。温泉の効能によって目の痛みは収まったが、視力の回復には及ばなかった。力を落とした親王は、都には戻らずにそのまま信濃国小県郡望月郷海野白鳥庄に住み着いた。

 

 そして仕える地元の豪族・深井某の娘に親王の手が付いて、やがて生まれた子どもが滋野(海野)小太郎幸恒と名乗った。滋野姓は、親王が京都にいた頃に滋野井という場所に住んでいたから、滋野を姓にしたという。やがて親王が亡くなった後に、地元の人々は親王を「滋野天皇」と贈り名をし、社を建てて白鳥神社とした。そこで親王の一子・小太郎幸恒は滋野を以て姓とし、海野を称したのだった。滋野(海野)一族は、小県を中心に信濃一帯に勢力を広げ、ここから望月・禰津の分家も生まれた。

 

 小県郡の東北に山家郷実田(真田)という土地があった。この小領主が「真田氏」を名乗り、鎌倉時代には多くの合戦を戦い抜いた。戦国時代には入ると、この真田氏の系統から幸隆(当初は幸綱)が出る。幸隆の母は、海野氏の棟梁・海野棟綱の娘であって、幸隆も幼時から棟綱と海野氏によって育て上げられた。甲斐の武田氏(信虎・信玄)は海野氏にとって敵であった。だが幸隆は恩人で祖父の棟綱に背を向ける形で、この武田信玄(当時は晴信)に臣従した。信玄がどうしても勝てなかった村上義清の戸石(砥石)城を権謀によって攻略した幸隆は、武田氏の信濃先方衆として信濃攻略の先鋒になる。「六連銭」を旗印にして「死地」での戦いを標榜したのも幸隆であった。真田忍びも、ここで醸成された。

 

 幸隆の子には、信綱・昌輝・昌幸の兄弟がいた。長兄・次兄が後に長篠合戦で討ち死にしたために、真田家は3男・昌幸が継承し、その子の信之(信幸)・幸村(信繁)が戦国時代に活躍する。関ヶ原合戦、大坂の陣を経て、幸村の真田氏は滅亡するが、信之の真田氏は徳川幕府の下、上田さらには松代という信濃の地で明治維新までを生き残る。

 

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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