DNA鑑定の結果「日本人と判定」された戦没者は、どのようにして帰国するのか? ご遺骨の焼骨式・追悼式
パラオ戦没者遺骨収集のいま
■発見されるご遺骨の状態
発掘調査を実施すると多くの「ご遺骨」が出土する。本来、戦没者遺骨収集事業の目標は、あくまでも今次大戦で亡くなった戦没者のご遺骨を「少しでも早く多く収集して日本に持ち帰りたい」という趣旨である。
このため、発掘して収集したご遺骨はまず洗骨し、全身骨を復元して、とりあえず現地に保管しておく。この保管していたご遺骨は、検体がDNA鑑定の結果日本人と判定された場合、年に1回現地で「焼骨式」が実施される。いわゆる「荼毘(だび)に付す」わけである。
焼骨式は次のように実行される。
まず、木材を井桁(いげた)状に組み上げ、その頂上部に1柱ごとのご遺骨を同じく井桁状に置き、その上に頭骨を置く。ガソリンなどの油類を井桁にかけて、そこに井桁下部分から火をつけることになるが、油類が多いと黒い煙が発生するので、この辺の加減が難しいようである。
南洋ではガジュマルやシュロなどの曲がった木が多いため、井桁状に組むためのまっすぐな木材を調達するのはかなり難しいのが現状である。その上、これらの木材はスコールをほぼ毎日受けているため水分を含んでいる場合が多い。そこで、式のかなり以前から伐採し、乾燥させないと燃えない状況となってしまう。
火は木材の湿気具合で時間差があるが、大体2~3時間でご遺骨を焼骨できる。その後、焼けたご遺骨は広くひろげて、炉端で熱をさますことになる。ある程度さました後、ご遺骨は遺骨箱に納められる。こうして、1柱単位の「遺骨箱」が帰国することになる。帰国時には、大きなダンボール箱に収納して日の丸旗を被せて、成田空港でも入国税関コーナーを特別配慮で通関する。

アンガウル島の焼骨式(日本戦没者遺骨収集推進協会提供)
焼骨式とは別に、「追悼式」も年1回現地で挙行される。
これは、焼骨された「遺骨箱」に納められた戦没者の霊を慰霊・追悼するため行われるもので、国の行事であるため「無宗教方式」で実施される。
式台には「慰霊碑」を置き、列席の人々から供花が行われる。無宗教のため、線香をかかげることや読経などもおこなわれない。
花輪の供花は、厚生労働大臣、茨城県知事、在パラオ日本国大使館、パラオ共和国政府、アンガウル州知事、ペリリュー州知事、宇都宮歩兵第59連隊戦友会、水戸歩兵第二聯隊ペリリュー慰霊会、など関連団体から送られている。
これらの一連儀式は従来何回も実施されてきた。例えば、昭和47年(1972)年4月にはペリリュー島戦闘遺族会・戦友会で構成された「みたま」会が現地で収集した約2千柱のご遺骨を焼骨「荼毘」に付して、その後慰霊碑「みたま」碑に納骨している。この碑は、現在も島中央に建立されている。
このように、ペリリュー、アンガウル両島には戦没者のための各種「慰霊碑」群が建立されている。アンガウル島では、島の有志者が土地を提供して、海を見渡す高台に複数の様々な「慰霊碑」が集められている。先にも触れたように、同島守備隊主力が栃木県、宇都宮近辺の歩兵部隊だったことから、この関連団体が建立した「慰霊碑」が林立している。
昭和20~30年代、国とは別に民間の慰霊団体がアンガウル島で慰霊と戦没者遺骨収集作業を独自で実施しており、発掘したご遺骨を日本に持ち帰っている。その一方、慰霊碑も島内各地に建立していった時期でもある。

日本に送還されるご遺骨