朝ドラ『あんぱん』「お前ら敗戦国民はどけ」と外国人から暴力も… 史実はもっと壮絶だった東京取材と「おでん事件」
朝ドラ『あんぱん』外伝no.53
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第15週「いざ!東京」が放送された。のぶ(演:今田美桜)たちは取材のために上京する。「ガード下の女王」が見つからないなか、屋台でおでんを食べた嵩(演:北村匠海)、東海林 明(演:津田健次郎)、岩清水信司(演:倉 悠貴)が体調を崩す。それを助けてくれた女性こそ、のぶたちが探していた代議士・薪 鉄子(演:戸田恵子)だった。さて、この東京取材とおでん事件は史実だが、実際はもっと壮絶だったようだ。今回はそのエピソードをご紹介したい。
■男3人女1人ですし詰め状態の汽車に乗って上京
やなせたかし氏が高知新聞社に入社したのは、昭和21年(1946)6月のことだった。最初は社会部の記者として配属されたが、間もなく同社が創刊した「月刊 コウチ」の編集部に異動になる。そこには編集長の青山茂さん、編集部員の品原淳次郎さんと小松暢さんがいた。
創刊からしばらくして、4人は揃って東京へ取材に行くことになった。国会議員や高知出身の作家へのインタビュー、そして東京の盛り場のレポートが目的だったが、ほとんど社員旅行のようなものだったという。
まずは鉄道に乗って高松へ、そこから連絡船で本州に渡って、山陽線、そして東海道線で東京へ向かう。東海道線の汽車は超満員で、乗り込むことさえ難しかったそうだ。やなせ氏は著書において、窓から押し込まれて(あるいは押し出されて)出入りするのが普通だったと述懐している。考えるだけで眩暈がしそうだ。
現代の満員電車以上のすし詰め状態で十数時間移動することを思うと気が遠くなる。しかも、そんな大混雑のなか、運よく座席が空いて座っていると、「こら、お前ら敗戦国民はどけ!」と外国人に殴られ、席を譲るしかなかったというのだ(相手の国籍については著書で言及されていない)。やなせ氏は惨めな気分を味わい、あまりの大変さに汽車でどうやって食事やトイレを済ませていたのかも記憶にないそうだ。
とはいえ、やなせ氏にとっては軍隊生活を思えばまだマシと感じられたようだ。男3人、女1人の4人の編集部員はこうして過酷な汽車移動を耐え抜き、東京にたどり着いたのである。
東京には同社の支局があり、そこで宿泊することができた。米は各自が持参したものを炊いて、おかずは闇市で調達したという。そして「おでん事件」が起きるのだ。
史実では、屋台で食べたのではなく、テイクアウトして支局で分け合ったのだという。ちなみに、やなせ氏自身の著書でもこの状況にはややバラつきがあり、『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)では「おでんを買ってきて食べた」、『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)では「おでんの具材を購入して支局で作った」という文脈である。
いずれにしても、持ち帰ってきたからこそ暢さんは限りある具を男性3人に優先的に回したのだ。男性陣はちくわや玉子、つみれを食し、暢さんは大根やじゃがいもを口にしていたという。結果、男性陣は揃って翌日腹を壊し、支局に来た医者に「食中毒だ」と診断されることになる。
ドラマでは比較的あっさり回復したが、実際は2~3日寝込んだそうだ。その間、暢さんは夜もまともに眠らずに3人の看病に徹したという。本来であれば帰路につくはずの日になっても3人は回復せず、会社に連絡をとって帰りの日程を延期する事態にまでなった。
結果、最初に回復したやなせ氏は暢さんと2人で書いた原稿を高知新聞社に送る手続きをし、後始末や荷造りをした。全員分の荷物を駅までリヤカーで運ぶのも一苦労である。しかし、この壮絶な東京取材とおでん事件が2人の心の距離を縮めることになったのだった。

昭和21~22年の東京/国立国会図書館蔵『モージャー氏撮影写真資料』より
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)