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朝ドラ『あんぱん』屋村草吉が経験した「欧州大戦」と「日本人義勇兵」とは? 日本人差別に抗うために志願した人々の戦い

朝ドラ『あんぱん』外伝no.32


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』、第10週は「生きろ」が放送中だ。陸軍から発注を受けた乾パンを作った後、屋村草吉(演:阿部サダヲ)は町を去ってしまった。引き留めようとするのぶ(演:今田美桜)を、釜次(演:吉田鋼太郎)は引き留める。釜次は前夜に屋村からかつての戦争体験を聞いていたのだ。それによると、屋村は欧州大戦で「イギリス軍の日本人義勇兵」として戦ったことがあるという。史実に基づくこの話、実は背景に複雑な歴史と日本人差別が存在する。今回はそれを紐解いていきたい。


 

■第一次世界大戦の頃のカナダにおけるアジア系移民への差別

 

 欧州大戦とは、一般的に第一次世界大戦と呼称される世界規模の戦争である。1914年7月に始まり、191811月まで続いた。対立構造は、連合国(ロシア帝国・フランス第三共和政・大英帝国の「三国協商」など)対中央同盟国(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国など)だ。後にアメリカは連合国側で参戦し、日本も1902年に締結した日英同盟に基づいて、連合国側に立つことになった。

 

第一次世界大戦において、イギリス軍として日本人義勇兵がいたというのは史実である。その背景には、当時カナダで暮らしていた日系人への差別があった。ちなみに、この頃のカナダは英連邦のひとつであり、自治領として政府はもっていたが外交権がない状態、つまり実質的にはイギリス帝国領である。

 

『加奈陀同胞発展史 第2』(大陸日報社)によると、当時ブリティッシュコロンビア州以外の州においては帰化した日本人に対してイギリス帝国臣民としての完全な権利が認められていたとあり、一方でブリティッシュコロンビア州では帰化する権利は認められていたものの、参政権は認められていなかったとある。また、反日感情による待遇面や日常での差別も当然のようにあったといわれている。

 

 先述の書によると、カナダではイギリスが宣戦布告してから間もなくカナダ日本人会(日系人のコミュニティ)が日本人義勇兵を募集し、政府に対しても交渉して準備を進めていたものの、「好意に感謝する」という“お気持ち”だけが返ってくる日々だったという。

 

 事態が動いたのは、191511月で、今度は軍の方から日本人義勇兵の動員について打診があり、同年12月には現地の日系人向け新聞に「加奈陀日本人會」の名で義勇兵募集の広告が掲載された。ここで重要なのは、同じ内容を英字の新聞にも掲載したことである。日本人義勇兵を募る旨をわざわざ現地の人々が読む新聞にも載せたのには、「在カナダ日本人(日系人)は、義勇兵となって尽くす所存である」という“愛国”の精神をアピールする目的があったと考えられる。つまり、これによって反日感情を和らげ、差別撤廃に向けた足掛かりにしようということだ。実際、日本人義勇兵募集に対しては好感をもたれていたようである。

 

 応募者は体格試験を経て、宣誓の記入署名をする。そして、訓練に入るのである。もちろん、一連の動きに関わるコストは寄付金等で賄われた。体格試験には約200人が合格したとある。訓練は1916年1月に始まり、現地の新聞はこぞってこれを好意的に取り上げた。

 

 訓練を終えた義勇兵たちは、いくつかの大隊に振り分けられ、1916年6月以降順次出征し、ヨーロッパへ渡っていった。約200人のうち、54人が戦死し、その他戦傷者や行方不明者も多数出た。それでも、参政権をはじめとする社会的権利がすぐに手に入ったわけではない。義勇兵に限った参政権が認められたのでさえ、講和条約であるヴェルサイユ条約が締結されてから12年後の1931年なのである。

1916年5月11日にバンクーバーで行われた日本人義勇兵団員授章式/国立国会図書館蔵

<参考>

■大陸日報社『加奈陀同胞発展史 第2』
■National Association of Japanese Canadians「日系カナダ人の歴史」

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