対 B-29用に75mm高射砲を搭載した特殊防空戦闘機【キ109】
「日の丸」をまとった幻の試作機 ~ 日本が誇る技術陣が生み出した太平洋戦争における最先端航空機たち【第6回】
太平洋戦争も中盤を過ぎて末期に近づくにしたがって、敗色が濃くなった日本。苦境に立つ皇国(こうこく)の起死回生を担う最先端の航空機を開発・実用化すべく、日本が誇る技術陣は、その英知と「ものづくり」のノウハウの全てを結集して死力を尽くした。第6回は、当時の単発日本軍戦闘機では撃墜が困難だった4発重爆撃機、ボーイングB-29スーパーフォートレスを一撃で粉砕撃墜できる高射砲を搭載した、双発の特殊防空戦闘機キ109である。

迷彩塗装を施され、格納庫に駐機している特殊防空戦闘機キ109。機首から突き出しているのが75mm砲の砲身である。
かねてより、排気タービンを搭載したうえ防御用の機関銃を多数備えて装甲も良好なアメリカの4発重爆撃機ボーイングB-17フライングフォートレスやコンソリデーテッドB-24リベレーターは、日本軍の単発戦闘機にとって撃墜しにくい敵機だった。ところが、それを上回る性能の、ボーイングB-29スーパーフォートレスの戦力化が進められているという情報を日本側はキャッチする。
そこで陸軍は、単発戦闘機に比べれば運動性能や速度では劣るが、搭載量が大きな双発機の中から運動性能や速度が良好な機体を選び、大口径砲を搭載。アメリカ軍重爆撃機の防御用機関銃の射程外から、4発機でも1発の命中で撃墜可能な同砲を撃つという「空飛ぶ高射砲」のような戦闘機を、特殊防空戦闘機キ109として開発することにした。
そこで選ばれたのが、1943年に生産が始まった陸軍の4式重爆撃機キ67「飛龍」だった。同機は、双発ながら急降下爆撃が可能で、爆弾などの兵装を搭載していなければ曲技飛行もこなせると言われるほど強度と運動性能に優れた名機で、「大東亜決戦機」として重点生産機に指定されていた。
この「飛龍」に、88式7糎(75mm)野戦高射砲(はちはちしきななせんちやせんこうしゃほう)を航空機搭載用に改良したものを搭載することになった。ちなみに75mmといえば、アメリカのM4シャーマン中戦車の備砲の口径と同じである。ただし完全自動装填の機関砲ではなく、15発入りの弾倉から装填手(そうてんしゅ)が手動で装填。発砲後は、自動的に空薬莢(やっきょう)が排出される半自動装填方式であった。発射速度は毎分約20発。なお、携行弾数は弾倉に収められた15発となる。
キ109は、この75mm高射砲を「飛龍」の透明機首を密閉式に改めた機首から、砲身をにょっきりと突き出すように胴体の軸線上に搭載。そのため、胴体左側に設けられていた副操縦士席は撤去されている。
キ109で想定された空戦技は、B-29の防御火力の射程外、概ね1000m前後の距離での直撃を意図しており、そのためには狙撃的な砲撃を加える必要があった。機関銃のように単位時間内に多数の射弾を撃ち出すわけではなく、1発1発をしっかり狙って撃たねばならないので、側方からの偏差射撃や正面からの正対射撃は難しく、後方からの追尾射撃がもっとも有効だが、ここに問題が生じた。
それは、「動く的」に対する発射速度が遅い砲の照準の難しさに加えて、高高度性能と速度性能の限界のせいで、こと事前の予想とは異なりB-29の迎撃が難しかったことだ。
このような理由から、22機が生産(異説あり)されたと伝えられるキ109は、そのほとんどがB-29の迎撃ではなく来寇(らいこう)する敵の上陸用舟艇(じょうりくようしゅうてい)を砲撃するため、本土決戦用として終戦まで残されていたという。