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『前方後円墳の形状を考える』~妄想遊びの勧め

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #012

前方後円墳式古墳の前方部は立ち入り禁止域だったのか?

写真1)大規模形象埴輪群が発見された今城塚古墳内堤(大阪府高槻市) 撮影/柏木宏之

 さて、前回の前方後円墳式に込められた古墳時代に生きた人々の死者への想いを再考してみましょう。

 

 私の疑問は、はたして葬送儀礼を行うためにだけあれほど巨大な前方部があるのかどうか?に尽きます。

 

 そこには何らかの思想があるに違いないと思われてなりません。

 

 前回ご紹介した、堺市の土師(はぜ)ニサンザイ古墳で発見された後円部頭頂部の木製施設跡が私の考えを妄想化してくれました。

 

 「もしかすると前方部は立ち入り禁止域ではなかったか?」

前方部は立ち入り禁止域だったのでは?柏木仮説図 作図/柏木宏之

 どういうことかと申しますと、後円部は間違いなく古墳の主人公が埋葬された墓域に間違いありません。

 

 そしてホタテ貝式のスペース(上の図の白い部分)では土壇で儀式をしたのでしょう。被葬者に対する参列者が多い場合、土壇は多少とも規模が大きくなったはずです。

 

 しかし、それが前方部になったのかどうか?私の疑問は膨らむばかりです。

 

 形象埴輪は被葬者の生前の暮らしを彷彿とさせてくれますので、これは間違いなく死者への手向けです。

 

 今城塚古墳では大規模形象埴輪群が発見されたのは周濠(しゅうごう。古墳の周囲に掘られた堀)の内堤の部分ですが、墳頂部は長い歴史の中でかなり削平されていますので、前方部上の様子が不明です。また、ほかの古墳でも造り出しがある場合はそこが埴輪祭祀(さいし)場になったのではなかったでしょうか?

 

 前方部は被葬者の死後の世界だったのではないだろうか?という妄想が私の中にわき上がりました。

 

 だから家族や近親者、もしくは高級従者ではないかと疑われる人の石棺や、宝物を収納した副葬施設が前方部から発見されたのではないでしょうか?

写真2)今城塚古墳埴輪群は死者への手向け(大阪府高槻市) 撮影/柏木宏之

仏教が受容されてからの天皇陵は八角墳に

 

 仏教が受容されてからの天皇陵は八角墳になっていきます。

 

 つまり宇宙観や、死後の世界観が変化したということです。

 

 私の妄想を含めた結論として、前方後円墳に込められた当時の精神世界観は「現世の円墳部」と「死後世界の方墳部」で構成されていたのではないかと思っています。

 

 主人公の埋葬された円墳部は現世で、方墳部は神聖なあの世の世界の領地という考え方だったのではないか? そうすると、主人公が埋葬された途端に、方墳部は現世の人が立ち入りできない聖地になったはずです。埋葬時の主な祭祀や、後の祭祀は円墳部の端に木製のテラスを仮設して行われた、もしくは堤の内側や造り出しで行われたのではなかったでしょうか?

 

 前方後円なのか前円後方なのかはともかく、あの特異な墳形に込められた当時の思想を知りたくなります。

 

 今回は2回続けて私の妄想を話しましたが、こんな発想も新発見や新説のヒントにならないとも限りません。

 

 定説は常に覆ります。皆さんも自分なりの考えを妄想的に繰り広げると、とても楽しく歴史に触れられると思いますよ。

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から現在も毎日放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在、アナウンサーを続けながら武庫川学院文学部非常勤講師、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。奈良大学卒論は「日本列島における時刻の掌握と報知の変遷」

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