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古墳時代に新しい区分が生まれる?~卑弥呼と『魏志倭人伝』

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #008

『三國志』の時代、『魏書』に登場する卑弥呼

「卑弥呼の墓ではないか」と話題になる3世紀末の箸墓古墳

 日本の歴史上の人物で卑弥呼といえば知らない人がいないかもしれません。

 

 中国には『三國志』という歴史書があって、魏・呉・蜀という三国が争いながら存在した時代のそれぞれの歴史がまとめられています。その中の『魏書』の最後の巻に「東夷伝」という章がありまして、さらにその一部に「倭人条」というわずか2000文字程度の記述があるのです。これを日本では『魏志倭人伝』と呼んでいます。そこに登場するのが「女王卑弥呼」です。

 

 『三國志』はさまざまな歴史情報や当時の報告書を陳寿という人が3世紀後半にまとめ上げて編纂したもので、倭人伝とは、そこに記載された邪馬台国との外交関係を記録した記事なのです。

 

 しかも魏の遣いが答礼にやってきた記録でもありますので、旅程が大雑把に書かれています。

 

 朝鮮半島の南端から対馬に渡り、次に壱岐に渡り、そこから九州の北岸に渡るのですが、その到着地点から先がよくわからないので「邪馬台国論争」という事態が巻き起こるのです。

 

 古くは新井白石や本居宣長も研究をしています。そして今も大きく分けると「九州説」と「大和説」に分かれて大議論が続いています。九州にも候補地が色々あるぐらいで他に徳島説などもあり、いったいどこに卑弥呼がいたのかわかっていません。大和説は近年発掘された纏向(まきむく)遺跡が有力候補地です。

邪馬台国「大和説」の有力候補地・纏向遺跡の碑

 

卑弥呼の死後「径百余歩の大きな冢()を作る」は方墳か?

 

 『魏志倭人伝』にはトラベルガイドみたいな記述もありますが、風俗誌でもあり博物誌でもあり、短い文章の中に3世紀半ばの弥生時代の倭国情報が満載で、実に興味深い内容です。

 

 倭人は酒が好きで男子は顔や体に入れ墨をしているとか、女性は布の真ん中に穴をあけて頭を通す貫頭衣を着ているとか…。さらには卑弥呼の遣いに対して魏の皇帝が行った詔(みことのり)の全文が掲載されたりしています。

 

 当時の魏国(景初3年)は建国者の曹操の孫、明帝あたりの時代です。三国時代の物語は現代でもマンガになったりして広く読まれていますから、三國志ファンなら卑弥呼の時代が身近に感じられるのではありませんか? 劉備、関羽、張飛、諸葛孔明、孫権、曹操らが激闘の物語を演じてくれていますね。まさにその時代、日本列島は弥生時代末期で邪馬台国には卑弥呼がいたのです!

 

 倭人伝には卑弥呼が死んでしまって、「径百余歩の大きな冢()を作る」とあります。

 

 かなり大きな弥生墓を想像しますね。しかしそれがどこにあったのか、いや今でもあるのか? それはすでに古墳なのか? 円墳なのか前方後円墳なのか方墳なのか? …はわかりません。もしも未盗掘の墓が発見されてその副葬品に「親魏倭王」の金印が発見されれば論争に決着がつくかもしれませんが…。

邪馬台国「九州説」の候補地・吉野ヶ里遺跡

(次回に続く)

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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