現代にも続いている? 倭の五王と鉄の関係~「鉄資源」確保に始まり刀鍛冶、鉄砲、自転車の生産までつながる可能性
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #007
鉄資源に関わる朝鮮半島の経営権を中国に認可してもらうため

堺市百舌鳥 大仙古墳 5世紀 撮影 柏木宏之
倭の五王候補のうち、第20代の安康天皇陵だけが奈良県の西部にあります。あとの四王候補はすべて大阪府内に陵墓があります。15代応神天皇陵は大阪府羽曳野市、16代仁徳天皇陵、第17代履中天皇陵、18代反正天皇陵は大阪府堺市の百舌鳥古墳群。19代允恭(いんぎょう)天皇陵が大阪府藤井寺市、21代雄略天皇陵は大阪府羽曳野市にあります。
まあ、今の行政区画では上記のようになりますが、古代の感覚でいうと河内地方という大体同じ範囲に大古墳が築かれているといえるでしょう。要するに当時の河内湾や大阪湾、大和川水系に近い場所に5世紀の大古墳がドカドカ造られているといえるでしょう。また、この時代の大王たちは大陸に遣いを出して外交交渉をしていた、ということでくくれると考えられます。

奈良県馬見古墳群 4~5世紀 撮影 柏木宏之
それにしてもこの時代の大王たちはなぜ大陸と交渉をしなければならなかったのでしょうか?動機はさまざま考えられますが、根底にあるのは「鉄資源」を確保するためだったのではないかと考えられます。朝鮮半島に倭人が大勢来ては鉄資源を採掘していたという記録もあります。
日本列島の政権にとって、朝鮮半島の鉄資源は非常に重要な戦略物資だったことは容易に想像ができます。日本列島では砂鉄を集めてほそぼそと金属器を作ることはできましたが、やはり鉄鉱石という高質な資源から作り出す高品質で大量生産のできる鉄が必要でした。当時の鉄原料が砂鉄か鉄鉱石かを分析するのはとても難しいのですが、鉄資源の豊富な朝鮮半島の経営権を中国に認可してもらうことは重要なプロセスでした。

ウワナベ古墳 5世紀 奈良市佐紀楯列古墳群
このそばの陪冢(ばいちょう)から872点もの鉄鋌が出土した。 撮影 柏木宏之
古墳には「鉄鋌(てってい)」という純度の高い鉄のインゴッド(塊)が副葬品として収められていることがあります。朝鮮半島で鉄資源を採掘して、これを製鉄して作られた物でしょう。大変貴重なものだったに違いありません。
大阪府堺市周辺というか河内地方は須恵器(すえき)を生産する大拠点でしたが、鉄製品を生産する拠点でもあったと考えられます。大胆に想像すれば、その技術はやがて刀鍛冶に引き継がれ、そして鉄砲の生産につながり、現代では包丁や自転車の生産につながっているのではないでしょうか。つまり倭の五王の陵墓と思われる河内地方の大古墳周辺は、鉄のテクノクラートが住み続ける場所だった可能性があるのです!
大古墳が現代に残されているだけではなく、私たちの時代にまでその技術と縁が継承されているとするなら、鉄の河内王権時代は大昔の話ではなく、現代にもつながっていると考えてもいいですよね? これこそが私たちの国の歴史に綿々と受け継がれる連続性といえる気がするのです。
(次回に続く)