百舌鳥・古市古墳群が登録された意味 ~先住民を渡来人が滅ぼしたわけではない“倭国”
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #002
日本列島にやってきた旧石器人からも受け継ぐDNA
大阪府にある「百舌鳥古墳群」と「古市古墳群」が、世界遺産に登録されました。日本の歴史遺産と文化が世界に認められ、貴重な財産として登録されることは喜ばしい事だと思います。
話は江戸時代になりますが、時代を先取りし寛政の三奇人と言われた学者のひとり・蒲生君平はご存じでしょうか? 日本各地の大王墓を調査して「山陵志」という調査書を残している学者です。享和元年(1801)に『山陵志』を完成させました。その中で古墳の形状を「前方後円」と表記し、そこから現在も用いられる前方後円墳の用語が生まれています。
それに対して、科学的な知見に基づいて調査研究をするという現代考古学は、明治になってからアメリカから輸入されました。
皆さんは考古学=歴史学だと認識しているでしょう。それは正解なのですが、世界的にみると考古学は文化人類学に分類されていることが多いのです。
そもそも日本に考古学を伝えたアメリカ自体、考古学は文化人類学に属しています。なぜならアメリカ大陸の地面を掘って1000年前の遺跡を発見したとしても、それは現代アメリカ人とは縁もゆかりも無い人たちの残した痕跡だからです。自分たちの祖先の歴史ではなく、人類の文化的進化(プロセス)を研究することになるわけです。言ってみれば他人様の痕跡を調査研究しているわけです。しかし私たち日本列島に住む者にとっては、1000年前であろうと2000年前であろうと、出てくる遺跡は私たちの遠いご先祖様たちの生活の痕跡ですから、歴史学の範疇になるのです。
つまり百舌鳥・古市古墳群は、私たちにつながるご先祖様たちの生活の痕跡を現代に伝えているといえるわけです。
1972年に発見されて一大歴史ブームを巻き起こした「高松塚古墳」。この時も「私たちの遠いご先祖様たちが残したもの」だからこそ大ブームになったのです。
ところが、「渡来人の文化」ということばも新発見の時によく聞くでしょう?
非常に長い時代にわたって渡来人は先進文化を日本列島に持ち込み、先住民と融合してきました。そうして生まれてきたのが私たちのご先祖様たちなのです。渡来して来た人たちは先住民を滅ぼしたわけではないので、私たちのDNAは日本列島に最初にやってきた旧石器人からも受け継いでいるといえるのです。これは世界にもまれな日本の特徴でもあるでしょう。
当時の大王家や豪族家のお墓ではありますが、だから百舌鳥・古市古墳群が世界遺産に登録された意義は私たちにとって非常に重要な意味を持つと考えられるのです。