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倭の五王って誰だ?~歴史を推理し遊んでみると、意外と真実が見える

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #006

中国の文献に現れない日本「謎の4世紀」

仁徳天皇陵とされる大仙古墳の展示模型/柏木宏之撮影

 古代日本列島には文字が無かったというのが定説です。

 

 ですから古代の日本の記録は残念ながら文字の国、中国の古文献にほんの少し触れられた内容に頼らざるを得ません。

 

 ところが倭国の情報は西暦300年代のおよそ100年間、中国の文献に現れません。だから「謎の4世紀」と呼ばれています。そして次の400年代初頭から再び倭国の情報が記載され始めます。

 

 それが「倭の五王」と呼ばれる「讃、珍(彌)、済、興、武」の五代の倭王情報です。

 

 当時は大和王権成立後ですから、倭王といえば大王(おおきみ)のことでしょう。

 

 しかしこんな名前の大王は皇統譜にはありません。中国国家に対して中国風に名乗ったのかもしれませんし、中国国家が名付けたのかもしれません。いったい誰のことなのか? 謎解きが始まります。時代から推理したり、記載された五王の関係から推理したりするのですが、何ともはっきりしないのです。

 

 5人目の「武」が雄略天皇であろうということはどの説もほぼ一致していますので、逆算すると⑤武=第21代雄略、④興=第20代安康、③済=第19代允恭と対照されますが、問題は珍と讃なのです。②珍()は第18代反正か第16代仁徳、①讃は第17代履中か第16代仁徳か第15代応神かと、最大で候補者が3人もいるのです。

 

古代中国の王朝に承認されることを望んだ倭国王たち

26代継体天皇陵とされる今城塚古墳公園・形象埴輪/柏木宏之

 その推理も面白いのですが、それよりも重要なことはそれぞれの大王がなぜ中国に遣いを送ったのかということではないでしょうか。それは中国王朝に貢物を送り、朝鮮半島の経営権を求めていること、そのために肩書を受けようとしていること。

 

 当時の中国は世界最高水準の先進国家でしたから、倭国王は古代中国の王朝に臣従する形をとって承認されることを望んだのです。ですからその肩書の長い事!5人目の武に与えられた称号は「使持節都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」だそうです。

 

 謎の4世紀は、海外に遣いを送る余裕も無く内乱に明け暮れていたのか? 中国大陸も小国乱立の時代でしたから、倭国どころではなかったのか?

 

 5世紀になってようやく五王が中国国家に遣いを送って、その後ろ盾で朝鮮半島経営に乗り出そうとしたのでしょうか。

 

 もちろん8世紀の初めには『日本書紀』が完成し、伝承のような形で神話時代からが記されていますが、中国や朝鮮国家の古代史書と照合して考えないと正確なことがわかりません。専門用語で「史料批判」という難しい研究が必要になります。

 

 古代には何があったのでしょうね?皆さんも推理に参加して遊んでみてはいかがですか?

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から現在も毎日放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在、アナウンサーを続けながら武庫川学院文学部非常勤講師、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。奈良大学卒論は「日本列島における時刻の掌握と報知の変遷」

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