古墳の色々 ~天皇陵も前方後円墳から八角墳へと変遷
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #004
双円墳、前方後方墳、八角墳、上円下方墳、四隅突出墳と様々!

円墳で再現されている高松塚古墳
一口に古墳といっても、色々な形があります。
丸いのが円墳、四角いのが方墳、丸と細長い台形のくっついたのが前方後円墳、四角と台形がくっついた前方後方墳、丸と丸は双円墳、八角形の八角墳、下が四角で上が丸いのは上円下方墳、四角くて四隅が長く伸びているのが四隅突出墳。そして一族が丘全体に大勢埋葬されているのが群集墳、などなど。積み上げ方も二段、三段などいろいろあります。
王墓といえば前方後円墳を思い出しますが、これは北海道と沖縄を除く全国に分布します。だから大和王権が支配した過程を研究する絶好の古墳だと考えられています。また形は同じ前方後円墳でも、その細かな形状の違いで古いものから新しいものへと変遷しているのがわかります。これを「編年」といいます。
奈良や大阪にある巨大古墳で「天皇陵・皇后陵・陵墓参考地」として宮内庁が厳重に管理しているものは、許可のない限り調査はおろか立ち入りも禁止されています。また天皇陵も前方後円墳から八角墳へと変遷します。今のところ三十四代の舒明天皇陵から変わったと考えられています。
各地の古墳も時代による流行や地域性があって面白いものです。四隅突出墳は西日本の日本海側から北陸方面に造営されるという地域性がありますし、渡来人の村だと思われる地域では群集墳がよく見られます。
ただ、なぜこんなに古墳の形に種類があるのか? いったいどういう意味をもって古墳にさまざまな形があるのか? 同じ時代でも円墳と方墳があるのはどういう理由なのか?
実はさっぱりわかっていません。古墳時代末期に造られた高松塚古墳は二段の円墳ですが、石室内には見事な絵画が描かれていました。九州にあるもう少し古い古墳では装飾古墳と呼ばれる鮮やかな色使いの石室を持つ古墳もあります。さらに同じ地域にある前方後円墳でも方向はまちまちで、なぜそんなにバラバラの向きで造営されているのかに定説はありません。
このように一口に「古墳」といっても3世紀末から7世紀初めごろまで造営されるお墓にはさまざまな意味と思想、古代人の精神世界が込められているのです。残念なのは、それがどういう思いで造られているのか? これがさっぱりわからない事ですね~。
やがて古墳造りはお寺の建立に変わります。そうなると仏教を知っている私たちにも、ご先祖様の精神世界が理解できるのですが・・・。

現代の飛鳥寺(法興寺跡)
(次回に続く)