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神と女性と古墳と豪族~遺跡から分かってくる王権と豪族の関係性

[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #010

『魏志倭人伝』に書かれた難升米(なしめ)、牛利(ごり)は豪族?

写真①後円部3段・前方部2段築成全長約86m、後円部径が約71mある
ホタテ貝式古墳・茅原大墓(奈良県桜井市)

 『三國志』にちらりと書いてある記述から、弥生時代の卑弥呼や邪馬台国の事がわかります。

 

 実際に魏国に朝貢した使節の団長や副団長の名前も『魏志倭人伝』には正使が難升米(なしめ)、次使が牛利(ごり)と書いてあります。

 

 ところで彼らはいったい何者でしょうか?

 

 おそらく邪馬台国連合の主要な豪族、もしくは各国王だったのではなかったでしょうか?

 

 大和王権時代も初期は地元各地の王がやがて豪族と呼ばれて政治の中心で活躍します。邪馬台国も政治の世界、つまり国内行政や外交に責任を持つ最高責任者は、やはり連合国の盟主王だったのではないでしょうか。

 

 権威のある巫女が主祭神に仕えてその神託を人々に伝えるというのは、わが国古代には枚挙に暇がないほどのパターンです。卑弥呼の宗教も男子禁制だったようで、宮室に出入りできるのは彼女の弟ただ一人だったようです。この弟というのが、政治の世界の盟主王だった可能性もありますね。

 

 一方大和地方では、第十代崇神天皇の時に三輪山に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を招きますが、大神の妻はヤマトトトヒモモソヒメでした。箸墓に眠っていると宮内庁が主張している皇女で、やはり巫女的な印象がありますね。また伊勢の斎宮はやはり皇女が選ばれていました。古代、神に仕えるのは女性でした。

 

卑弥呼の墓は墳丘墓、弥生墓のはずで古墳とは呼べないのだが…

 

 さて古墳です。卑弥呼の時代は弥生時代ですから、この時代の墓を古墳とは本来呼びません。あくまで弥生墓であって墳丘墓なのです。

 

 九州に卑弥呼がいたなら甕棺墓(かめかんぼ)でしょうし、大和にいたなら方形周溝墓、もしくはホタテ貝式ではなかったでしょうか?

 

 考古学と科学的測定装置の精度が大きく進歩した現在、縄文時代や弥生時代の始まりがずいぶん遡りました。現代は時代区分を一度見直す時期に来ているのかもしれません。

 

 縄文時代の始まりは本当に16000年ぐらい前なのか? 弥生時代の始まりを稲作の開始とするなら紀元前10世紀まで遡りそうですし、箸墓の築造年代がはっきりすれば古墳時代の始まりもずっと遡るかもしれません。

 

 もちろん時代の画期は線では区分できません。長い時間を経てグラデーションを描きながら変化します。縄文土器を使っていた時代の晩期に稲作が徐々に始まり、稲作が定着する頃、弥生土器が使われ始めるのでしょうか。

 

 前方後円墳が九州や本州北端に広がるにも時間がかかったのは言うまでもありません。ただ、その広がりが大和王権の確立と支配地域の広がりを示すことは間違いないのですから、研究者の望みはどうしても絶対年代が知りたい!ということになります。

 

 研究が進めば王権と豪族の関係性がさらにはっきりして、事実を再現できると思いますよ。

写真②蘇我馬子の父・稲目の墓とも推定される都塚古墳石室1、玄室内部

(次回に続く)

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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